3度の大病を乗り越え、作業療法士歴24年、継続できたそのワケは?

ライフ・はたらく2022/10/14

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今回取材したIBD患者さんは、潰瘍性大腸炎患者さんで専門学校講師の上原央さんです。作業療法士として長年活躍してきたキャリアを生かし、医療専門学校で未来の作業療法士を育てる仕事に就いています。そんな上原さん、潰瘍性大腸炎以外にも2つの大病を経験。全国的に珍しい「司法の領域」で作業療法士として勤務した経験も。どのように病気とつきあいながら仕事を続けてこられたのかをお聞きしました。「司法の領域」とは、どんな職場でしょうか?

上原央(うえはら ひさし)さん/潰瘍性大腸炎歴14年

専門学校卒業後、作業療法士として精神科のある病院に就職、10年間勤務。その後、兵庫県内にある社会復帰促進センター(官民協働で運営する刑務所)に作業療法士として12年間務める。2年前から、姫路医療専門学校の作業療法士科で講師を務める。病気については、専門学校2年生の20歳の時にベーチェット病(口内炎や皮膚症状、眼症状など全身性に多彩な症状を起こす炎症性疾患)の疑いのため入院治療、32歳で潰瘍性大腸炎と診断、37歳で心筋梗塞を発症。

20年以上の作業療法士経験を生かして、専門学校講師に

――まずは、現在の仕事内容について教えてください。

兵庫県姫路市にある姫路医療専門学校の作業療法士科で講師をしています。作業療法士科は3年制で、約120人の学生が在籍。1コマ約90分の授業で、座学的な授業、実習などがあるほか、休み時間も学生たちからの質問に受け答えするので、学校がある日は大忙しです。作業療法士としてはキャリア24年目ですが、講師としてはまだ2年目。不慣れなことも多く、授業の準備に時間がかかったり、てんやわんやです(笑)。

――専門学校の講師をされる以前はどのような環境でお仕事をされていましたか?

専門学校で作業療法士の資格を取り、卒業後、精神科のある病院に勤務。デイケア(通院)での作業療法をメインに担当し、約10年務めました。その後、兵庫県に官民協働で運営する社会復帰促進センター(刑務所)が開設されたのを機に、その施設に移りました。作業療法士として約12年勤務した後、2年前から専門学校で講師を務めています。

まとめ役の兼任で不眠不休…、潰瘍性大腸炎診断に至るまで

――潰瘍性大腸炎の診断はいつのことでしたか?

今から14年前、病院勤務10年目のときです。診断直前の私は、病院で作業療法士として患者さんのリハビリテーションに携わるだけでなく、管理職としての業務も多く抱えていました。加えて、地域の作業療法士会での役回り、自治体からの依頼で障害福祉サービスの判定員なども兼任、忙しい時は徹夜で翌日出勤するということもありました。

そんな状況が続いていたある日、痔になり、下痢症状が出始め、それが続くように…。粘性の便、結構な量の下血もあり、「もしかして、がんになったのかな…」と、恐る恐る近所の胃腸科クリニックを受診。精密検査の結果、潰瘍性大腸炎の診断を受けました。

――診断を受けられたときはどのような気持ちでしたか?

ショックはありましたが、それほど症状がひどくなかったこともあり、すごく落ち込むということはなかったです。学生時代から下痢しやすく、食べたらすぐトイレに行くことはあったので…。実は、20代の時に、すでに指定難病になっていたベーチェット病の疑い(最終的に確定診断には至らなかった)があり、入院したことがあるんです。正直、その時の絶望感、落ち込みに比べれば…、という感じです。

――現在までの潰瘍性大腸炎の経過、日常生活はどのような感じですか?

内服薬を継続していますが、仕事を長期で休むことなく過ごせています。仕事に支障が出ないようにコントロールはできていますが、症状が途切れることなく続いていて、寛解に至ったことはないと思います。

日常生活では、朝のトイレ時間が長くなって電車に乗り遅れそうになったことはありますね。また、診断当時、家庭には1歳と5歳の子どもがおり、私のためだけの食事を用意してもらうというのは難しかったので、ダメそうなものは自分だけ避けて食べるなどしながら気を付けてきました。乳製品NGなので、豆乳に変えてもらったりはしています。

一番の困りごとは「トイレ」、ちょっと変わったその理由とは?

――潰瘍性大腸炎診断後、仕事上で大変なことはどんなことですか?

一番はトイレ問題です。潰瘍性大腸炎の診断後、少ししてから社会復帰促進センターに勤務することになりました。お伝えした通り、ここは刑務所で、施設内はどんな場合でも走って行動することが禁じられています。作業療法が可能な保安区域からトイレまでは少し距離があるのですが、急にトイレに行きたくなっても走って駆け込むことができませんでした。

また、保安区域にはエアコンがないので、季節によってはかなり過酷な環境でした…。作業療法を実施する前の食事の量やタイミングに気を付けて、時には食べないようにして、トイレに行かなくて済むように注意していました。

食事の取り方の工夫は今も継続中です。90分の授業中にトイレに行かなくて済むように、授業前の食事量は少なくして、授業後に食事を取るようなリズムにしています。

3度の大病、「冷静に病気と向き合う」

――刑務所での仕事は、病院勤務の頃よりも大変でしたか?

そうですね、かなり忙しかったです。当時1,000人程度収容されていて、受刑者の中には軽度知的障害の方なども含まれ、そういう受刑者に対して作業療法を実践するという仕事でした。しかも、刑務所で作業療法を行う取り組みは全国初。作業療法においてはコミュニケーションが重要なのに受刑者と簡単に話をできない、凶器になるからとハサミなどを使った作業はできないなど、やり方もこれまでと大きく異なり、ルール作りからのスタートで、とにかく大変でした。

刑務所での勤務4年目の時に、実は、勤務中に心筋梗塞を発症しました。倒れてすぐにAEDによる心肺蘇生が行われて、救急搬送となり、一命をとりとめました。刑務官のみなさんの対応が早かったので、後遺症もなく、仕事に復帰することができました。

――3度の大病を経験されても、仕事を続けてこられたのはどうしてだと思いますか?

まずは、潰瘍性大腸炎の症状がそれほど重症ではなかったこと、心筋梗塞については、早い対応のおかげで助かったということでしょうか。

また、作業療法士として多くのリハビリテーションに携わってきたことで、自分の病気と冷静に向き合うことができていたのではと思います。もちろん、心境穏やかでない時もあるのですが、私の妻も実は作業療法士で、いつも冷静に対応してくれていました。

患者として、病気に対して冷静でいられる時とそうでない時の二面性を経験したことが、今の仕事の支えになっているとも思います。長い闘病生活の中で揺れ動く気持ち、完治する治療法が見つかっていない、原因不明の病気を抱えて暮らしていくことの大変さ、何か得るものがあればと学生たちにも病気のことを話すようにしています。

「目に見えない病気」だからこその経験をぜひ生かして

――医療者を目指したいというIBD患者さんもいらっしゃいます。最後にメッセージをお願いします。

ご自身の経験から、患者さんと向き合う仕事に就くということはとても大きな意味を持つと思います。病気を経験した人にしかわからないことがあり、「目に見えない病気」であるからこその不安もあり、発がんのリスクも高いと言われているので、常に心配がつきまとっている人もいると思います。特にリハビリテーションの職種は、そうした患者さんの気持ちにどれだけ寄り添えるか、というのが大きなポイントになると思います。経験を強みととらえて、ぜひチャレンジしてみてほしいです。

(IBDプラス編集部)

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