小5で潰瘍性大腸炎を発症、患者さんの痛みに寄り添う看護師を目指して
ライフ・はたらく | 2020/12/2
今回の「仕事・はたらく」でご紹介するIBD患者さんは、看護師として働く、潰瘍性大腸炎患者のあーちゃん。小学5年生の頃に潰瘍性大腸炎と診断されたあーちゃんは、入院生活を送る中で、いつもそばで支えてくれた看護師さんたちの存在が大きかったといいます。当時、なかなか治療効果が現れず「死にたい」と思うこともあったほど、つらい状況だったそうですが、看護師さんたちのサポートがあって、何とか治療を頑張ることができたのだとか。そのような経験から、自然と看護師を志すようになりました。
一方、小学6年生の頃に大腸全摘、回腸嚢肛門管吻合術(IACA:Ileoanal canal anastomosis)を受けたものの、24歳の頃、残っていた直腸にがんの前段階である「高度異形成」が見つかりました。2020年7月に回腸嚢肛門吻合術(IAA:Ileoanal anastomosis)を受け、現在、一時的にストーマを造設。1年後に閉鎖予定です。
患者の立場でさまざまな経験をする中で、あーちゃんは、看護師としてどのような目標を持つようになったのでしょうか?これまでの経験とともに、お話を伺いました。
あーちゃん(25歳・女性/潰瘍性大腸炎歴 15年)
小学校に通えなくなるほど症状が悪化…小6で大腸全摘
――潰瘍性大腸炎を発症されたときのことについて、お聞かせください。
あーちゃん: 腹痛や血便といった症状が現れていました。血便の量は日に日に増えていきましたが、「お母さんやお父さんに、心配をかけたくない」と思い、なかなか言い出せずにいたんです。血便によって貧血の症状も現れるようになり、つらい日々を過ごしていました。やっとお母さんに症状のことを言えた頃には、症状がさらに悪化しており、小学校にも通えないほどになっていました。そこから病院へ行き、入院することになったんです。
――診断を受けた時は、どのようなお気持ちでしたか?
あーちゃん: 率直に言うと、「やっぱり、病気だったんだ」という気持ちでしたね。当時は特に貧血の症状がひどかったので、「入院して治療を受けたら治る」と思い、少し気持ちが楽になったことも覚えています。また、原因がわかったことへの安堵感もありました。
両親は「まさか、こんなことになるなんて」と、とても驚いていたと思います。実は、私の母も看護師なんです。そのため、母から「ごめんね。お母さんが気付いてあげられなくて…」と言われたことを覚えています。当時の私は、一生懸命働いていた母の姿を見ていた分、余計に「心配かけたくない」と思っていたのかもしれません。家族は私の食事に気を遣ってくれるなど、全力でサポートしてくれており、とても感謝しています。
――小学校では、病気に対してどのようなサポートをしてもらっていたのですか?
あーちゃん: 退院して小学校へ通い始めた頃は、体育など体に負担のかかるような授業は見学させてもらっていました。体調が優れないときは保健室で休憩するなどして、無理のないように過ごしていたと思います。入院前もしばらく学校へ通えていなかった分、先生も友だちも気にかけてくれて、心強かったですで。お昼ご飯も、私は給食を食べずに、持参したお弁当を食べていました。
友だちは本当にいい子たちばかりで、恵まれた環境だったと思います。当時、「潰瘍性大腸炎」という病名は伝えていませんでしたが、先生が「お腹の病気」という説明はしてくれたので、症状は理解してくれていたと思います。そのため、楽しく小学校生活を送ることができました。
――発症当時の治療内容を教えてください。
あーちゃん: まず、当時は貧血の症状がひどかったので、輸血をしました。潰瘍性大腸炎の治療では、さまざまな内科的治療を受けましたが、なかなか症状が改善されまず、また、免疫が下がりすぎたことで血球貪食症候群(けっきゅうどんしょくしょうこうぐん)という副作用が現れ、その治療も受けましたね。潰瘍性大腸炎は「劇症型」だったこともあり、なかなか寛解せず、小学6年生のときにIACAという手術を受けて大腸を全摘しました。
当時を思い返すと、本当に毎日お腹が痛すぎてつらかったです。「早く、手術で大腸を全摘してほしい」と、思っていたくらいです。大腸の全摘については、不安というより「早く、このつらい状況を何とかしてほしい」という気持ちが大きかったですね。当時は、絶食して、エレンタールも美味しく飲むことができず…という状況だったので、手術を受けて、早く美味しいご飯を食べたかったのだと思います。
残存直腸に高度異形成、手術で一時的にストーマを造設
――その後、どのようにして「高度異形成」が見つかったのでしょうか?
あーちゃん: その後、22歳の頃に回腸嚢炎(かいちょうのうえん)が現れ、残っていた直腸(残存直腸)に潰瘍ができ、2019年24歳の頃に直腸炎が悪化。皮膚に痛みを伴う壊疽性膿皮症(えそせいのうひしょう)という合併症が現れました。そして、残存直腸にがんの前段階である「高度異形成」が見つかったんです。
その後、2020年にIAA手術を受けました。現在は、一時的にストーマを造設しています。
――残存直腸に高度異形成が見つかったときは、どのようなお気持ちでしたか?
あーちゃん: 正直、とてもつらかったです。私は珍しい例かもしれないですが、つらい経験を経て大腸を全摘しても、完治はしないのか…と。「一生、この病気と付き合っていかなければいけないんだ」と実感しました。
看護師という仕事をしていることもあり、「高度異形成」ががんの前段階であることは、もちろん理解していました。大腸を全摘した小学生の頃、医師から「将来、がん化する可能性はある」という話も聞いていたのですが、「こんなに早く、がんになるんだ…」と思いましたね。
検査の結果を待つ間は、特につらかったです。「もし、がんだったら今後どうなるんだろう…?」と考えて、当時は毎日泣いていました。いま、看護師としてがん患者さんに関わる機会も多いため、良くも悪くも、がん患者さんの現実を見ています。そのために、いろいろなことを考えてしまったのだと思います。手術が終わった今では、早めに手術できて良かったと感じています。
――ご自身で感じているストーマ造設のメリット、デメリットについて教えてください。
あーちゃん: メリットは、好きなものを食べたり、お酒を飲んだりできるようになったことです。お腹や肛門などの痛みがなくなったことも大きいですね。
一方デメリットは、水様便のため、周囲の皮膚がただれてしまうことがあることです。また、すぐに便が出るので、外食する際などは、頻繁にトイレに行かないといけないことですね。自分の場合、5~6回はトイレに破棄しに行きます。あとは、ストーマ装具の費用が少し高いと感じています。永久的なストーマであれば補助を受けることができますが、私は一時的なストーマのため、補助を受けられないのです。
同じ潰瘍性大腸炎の看護師さんの存在、憧れから目標へ
――看護師を志した理由について、教えてください。
あーちゃん: 母が看護師ということで、もともと、看護師は身近な職業でした。志す大きなきっかけとなったのは、入退院を繰り返していた小学生の頃、看護師さんに親身に接してもらい、何度も元気をもらったことです。本当につらい経験だったので「あの頃の自分と同じように、つらい思いをされている患者さんの力になりたい」「患者さんの痛みをわかってあげられる看護師になりたい」と思うようになりました。
出会った看護師さんの中でも特に印象に残っているのが、自分と同じ潰瘍性大腸炎を患っている看護師さんでした。もちろん、症状は全然違いましたが、同じ患者の目線で、いつも気にかけてくれる優しい看護師さんだったんです。今でも、その方の存在が、自分の目指す看護師像のひとつになっていると思います。
ほかにも多くの看護師さんたちがいつも親身に相談乗ってくれたり、八つ当たりしてしまったときも受け止めてくれたりしました。当時の私が、痛みに負けず、何とか治療を乗り越えられたのは、看護師さんたちがいつもそばにいてくれたおかげだと思っています。だから、私もそういう看護師を目指したいと思うようになったんです。
――看護師として仕事をする際に、気を付けていることはありますか?
あーちゃん: 手術を控えている患者さんや痛みを抱えている患者さんに対しては、お話をしっかり聞き、私の経験をお伝えすることで、治療に前向きに取り組めるようにサポートすることを心がけています。痛みのケアをする場合など、ケースバイケースではありますが、お話をしっかり聞かずに痛み止めのお薬を投与するのと、お話をしっかり聞いたうえで対応するのとでは、患者さんの受け止め方も全然違うと感じています。
例えば、以前担当した手術前の患者さんは、手術に対して大きな不安を抱えていました。その気持ちを聞きつつ、「実は、私も手術経験があるんですよ。大丈夫です、すぐに良くなりますからね」とお伝えすると、とても安心されていた姿が印象的でした。自分の経験が役立つ瞬間は、やはり嬉しいです。患者さんが退院されるときに、「ありがとう」「安心して手術を受けられた」などの言葉をいただいたときには「よし、また次も頑張ろう」と、思えるんです。
――お仕事は夜勤や残業などもあり、お忙しそうですが、症状が悪化しないように気を付けていることはありますか?
あーちゃん: お弁当を持参するなどして、食事には気を付けています。コンビニご飯や外食が続くと、やはり調子悪くなってしまうので…。また、夜勤は人数が少なく急に休むことが難しいため、特に体調には気を付けています。例えば、お休みの日はしっかり睡眠をとり、ストレッチや筋トレを行うなどして体力づくりをしています。
また、上司には、こまめに自分の体調を報告することも心がけていますね。そうすることで、体調が悪くなりそうなときも、早めに対応できます。
――「夜勤のない病院で働く」という選択もできると思いますが、あえて、夜勤のある大きな病院で働いている理由はありますか?
あーちゃん: 「病気だからできない」という考え方をしたくなかったんです。事実、私は病気のために体調が悪くなることがありますし、それが仕事に影響する可能性もあります。だけど、「みんなと同じように、普通に生きたい」と思っています。「もし、やってみてダメだったらやめよう。とりあえず1回チャレンジしてみよう!」と考え、今の働き方を選びました。最初は、家族も心配していたので、夜勤がない職場で働くことも考えていました。だけど、「看護師として、限界まで頑張ってみたい!」という気持ちが強かったのだと思います。
一方で、体調が悪くても夜勤は休めないので、その点は、大変だと感じています。「絶対に出なければならない」というプレッシャーもありますしね。ですが、私はやっぱり今の看護師の仕事が大好きなんです。どんなにつらいことがあっても、日々、患者さんと接する中で、つらさを忘れてしまうほどやりがいを感じています。だから、もう少し今の職場で、看護師を続けて行こうと思います。
つらいことには「必ず終わりがくる」と知ってほしい
――プライベートでの、今後の目標はありますか?
あーちゃん: いずれは、結婚して子どもが欲しいです。でも、病気を理由に恋愛に臆病になっている自分もいます…。いつか、今のからだや病気のことを含めて、自分のことを理解してくれる人に出会えたら嬉しいですね。
実は、これまでの彼氏にも、病気のことを詳しく話したことはありません。隠しているわけではないのですが…どのタイミングで言うべきなのか、いつも迷いますね。正解はないと思っていますが、付き合ってすぐに打ち明けると、「重いと思われないかな?」と、心配に思ってしまって…結局、言えずにいます。病気について彼氏から気を遣われるのは嫌ですし、普通に接して欲しいと思いますからね。
だけど、病気のことを打ち明けて、それを理由に「別れよう」と言われるくらいなら、「こっちから、別れてやる!」という気持ちは持っています(笑)。何よりも、自分を大切にしたいですから。
――最後に、IBD患者さんにメッセージをお願いします。
あーちゃん: 私は、発症したばかりの小学生の頃、絶食で好きなご飯を食べられず、つらい日々を過ごしていました。毎日生きていることさえもつらくて、「死にたい」と思う時もあったほどです。ときには、家族に八つ当たりしたり、元気な友だちをうらやましく思ったりすることもありました。
でも今は、看護師として病気のことを勉強しながら、症状をコントロールできるようになってきたと感じています。調子の良いときは、好きなご飯を食べることもできます。今の私がいるのは、先生や医療従事者の皆さん、支えてくれた全ての方々、そして、やっぱり1番は家族のサポートのおかげだと思っています。
当時、私の周りには同じIBD患者さんがあまりいなかったので、心細い日々を過ごしたこともありました。だけど、今はSNSを通じて多くのIBD患者さんとつながることができていますし、みなさんのおかげで、私も「頑張ろう!」と、毎日勇気をもらっています。
今、病気でつらい思いをされている方もいるかもしれません。けれど、そのつらさは、一生は続くのではなく、必ず終わりがくることを知ってほしいです。そして、何より、「あなたは、一人ではない」ということをお伝えしたいです。
そして私は、誰よりも患者さんの痛みやつらさを理解できる看護師を目指し、努力していきます。
(IBDプラス編集部)
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