潰瘍性大腸炎を「強み」ととらえて―管理栄養士として前へ進む
ライフ・はたらく | 2021/1/21
今回の「仕事・はたらく」でご紹介するIBD患者さんは、調剤薬局の管理栄養士として働く、みにこさん。12歳の頃に潰瘍性大腸炎と診断を受けました。しかし、当時の内科的治療では効果があまり得られず、15歳頃の再燃をきっかけに、大腸全摘手術を受けることに…。この手術を受けたのがちょうど高校受験の直前で、結果的に、同級生と一緒に高校生になることをあきらめ、1年遅れて高校に進学しました。
「もっと、食事療法を上手にできていたら…」との思いから、自然と管理栄養士を目指すようになっていたという、みにこさん。患者さんが普段の食事のことを気軽に相談できる環境づくりを考え、調剤薬局を働く場所として選択しました。
潰瘍性大腸炎になったからこそ気付けたこと、また、これからどのような管理栄養士を目指していきたいのか?みにこさんに、詳しくお話を伺いました。
みにこさん(26歳・女性/潰瘍性大腸炎歴 14年)
自身のさまざまな経験を経て、管理栄養士として患者さんたちに関わることを決意。現在は、調剤薬局で正社員の管理栄養士として働いている。
吹奏楽部だった経験をいかし、趣味はクラリネット演奏。編曲活動や楽譜販売も行っている。
急な体重減と便秘…小6で潰瘍性大腸炎と診断
――潰瘍性大腸炎を発症されたときのことについて、お聞かせください。
みにこさん: まだ小学6年生の頃で、最初の症状は、「便秘」でした。潰瘍性大腸炎では、下痢の症状が現れる方が多いと思いますが、まれに、便秘の症状から始まることもあると医師から聞きました。次第に腹痛も現れるようになっていましたが、「便秘のせいかな?」と、当時は考えていたんです。人間関係などでストレスを感じていた時期で、あまり食事をとることができず、急に7~8㎏体重が落ち、痩せた時期でもありました。
便秘の症状が悪化したことで、近所のクリニックに通い始めました。その後、血便の症状が現れたことをきっかけに大学病院を紹介され、そこで潰瘍性大腸炎の診断を受けたのです。
――診断を受けた時は、どのようなお気持ちでしたか?
みにこさん: 長く続いていた体調不良の原因がわかったことで、ホッとした気持ちが大きかったです。一方で、潰瘍性大腸炎が治らない病気であることや食事制限が必要であることを知り、ショックな気持ちもありました。
病院の栄養士さんからは、脂質の多いもの、消化の悪いもの、からいものなどの刺激物はもちろん、学校の給食や外食も控えなければならないと説明を受けたことを覚えています。当時は、今よりも食事療法について厳しく考えられていたそうで、「食べられるものがあまりない」という印象を受けました。
両親も、まだ幼い私のことを思い、不安な気持ちが大きかったのではないしょうか。学校の給食の代わりに、毎日お弁当をつくってもらうなど、家族のサポートがあってこその学生生活だったと思いますね。
内科的治療で効果が現れず、あきらめの気持ちも…高校受験直前に大腸全摘
――中学3年生の頃に、大腸を全摘されたんですよね。それまでは、どのような治療を受けられていたのですか?
みにこさん: 12歳で確定診断がついた時は、栄養失調になっていたこともあり、そのまま入院治療を受けました。
その後、中学2年生頃に再発。約3週間、入院治療を受けました。その頃、私は、吹奏楽部でクラリネットを担当しており、吹奏楽のアンサンブルコンテストの直前だったんですね。コンテストは、私が出られないと欠場しないといけない状況だったので、「何がなんでも、退院してコンテストに出場したい」と考え、病院の先生たちにも協力していただいたことを覚えています。病棟でも、クラリネットの練習場所を確保してもらい、吹奏楽部のメンバーにもテープを送ってもらうなどして、いろいろな人たちにサポートしていただきました。当時の治療は、クラリネットという好きなことがあって、アンサンブルコンテストという目標があったから乗り越えられたと思いますね。いつもそばで応援してくれた家族や、病院の先生や看護師さんたちのおかげだったと感じています。
その約1年後、中学3年生の高校受験目前に入院しました。本当は、受験が終わってから入院したかったのですが、急激に症状が悪化する劇症型だったそうで、入院による治療が必要な状況だったんです。当時可能だった、ありとあらゆる内科的治療を受けたものの、症状が改善しませんでした。次第に薬剤の副作用によるうつ病や急性膵炎を経験し、からだも限界を迎えていたんです。内科的治療を受けていた当時は本当につらく、「もう、どうにかしてほしい…」と思いながら治療を受けていました。なかなか治療の効果が現れないことで、気持ちの部分でも疲れ果てていたのだと思います。
そのため、外科治療を提案されたときは、思ったよりも前向きに受け止めることができました。大腸全摘をし、一時ストーマを造設することも、「それで治すことができるなら…」と、考えることができました。術後1か月で一時退院し、2か月半後にストーマ閉鎖手術のため、再度入院を経験しました。
このような経緯から、結局、その年の高校受験は叶わず、同級生に1年遅れて高校生になったんです。
――内科的治療の効果が現れず、つらい時期を過ごされたのですね。その後は、どのような治療を受けられているのですか?
みにこさん: その後、16歳の頃に、癒着性腸閉塞で緊急搬送され、入院治療を受けたことはありました。しかし、その後の約9年間は、時々おなかの調子が悪くなる程度で、年に2回の通院で症状が安定していました。
ところが、2020年、26歳の頃に絞扼性(こうやくせい)腸閉塞で緊急搬送。手術を受け、2週間入院による治療を受けました。現在は、3か月に1回通院し、整腸剤や下痢止めなどを服薬しながら、年に1回内視鏡検査を受けています。
自身の経験を患者さん対応にいかすなど、管理栄養士として活躍
――現在の調剤薬局での管理栄養士のお仕事内容について、教えてください。
みにこさん: 調剤事務や調剤補助、接客がメインのお仕事です。その他、食事のことで悩んでいる患者さんへ直接アドバイスさせてもらうこともあります。また、商品の売り場づくりの担当をしていることもあり、患者さんにご提案できそうな栄養機能食品などを検討することも業務のひとつです。
現在は、新型コロナウイルス感染防止の観点から実施できていませんが、定期的に薬局内で栄養に関するイベントも行っており、その際は講師を努めていますよ。
――「調剤薬局」で働くことを選ばれたのは、どのような理由からですか?
みにこさん: 食事に関するちょっとした疑問や、病院に行って相談するほどでもないけど気になることがあったときに、気軽に相談できる管理栄養士になりたいと考えたためです。より患者さんと近い場所で働きたいと考えたときに、「調剤薬局」がいいなと思いました。
私は、食事療法を受けていた当時、まだ子どもだったということもあって、食事のことで苦労することが多かったんですね。気軽に相談できるような場所も身近になかったですし。自分で栄養学を勉強しようとも考えましたが、小学生だったので限界がありました。このような経験から、患者さんが気軽に食事のことを相談できる管理栄養士を目指すようになったんです。
今の職場は、前もって伝えておけば通院のための休みも取得できますし、病気に対してもともと知識があり、理解のある方々ばかりです。立ち仕事で大変なこともありますが、病気への理解があるという面では、非常に恵まれていると感じています。
――調剤薬局の管理栄養士として働くなかで、ご自身の経験がいきたと感じたことはありますか?
みにこさん: 胃の手術後や腸閉塞の既往歴のある患者さんなど、消化器系の疾患の患者さんのお話を伺う際には、よく感じますね。いわゆる教科書的な知識だけでなく、自分の経験から具体的なアドバイスができたときに、つらかった時期の自身の経験がいかせていると感じます。
例えば、先日お話した患者さんは、もともと胃が弱く、1回の食事量をとれないという方でした。そのため、間食でエネルギーを補うことを提案したのですが、どういうものが間食として適しているのかを迷われていたんです。その際に、「自分の場合は、○○が特に食べやすく感じたので、おすすめですよ」と自分の経験とともにお伝えできたことで、その患者さんも安心されていた印象でした。
管理栄養士の教科書にも、「間食を活用しましょう」という内容は載っています。でも、胃腸に負担がかかる度合いなどは人によってさまざまですし、実際の体験をお伝えすることで、ご提案内容がより具体的になると感じています。
――仕事に限らず、将来の夢や目標があればお聞かせください。
みにこさん: 仕事に関わらない部分では、潰瘍性大腸炎の情報の中でも、「大腸全摘後の生活の情報」を共有できる仕組みをつくりたいと考えています。患者さんの情報を共有できるようなコミュニティや場があったら良いな、と感じています。自分のこれまでの潰瘍性大腸炎に関する経験が、誰かのお役に立つことができれば、うれしく思いますね。
仕事に関わる部分では、医療費削減につながるような業務に携わりたいです。調剤薬局で、さまざまな患者さんのお話を伺い、また、自身の経験を通じて医療費の課題を感じているためです。本当に医療を必要とする人が必要なお金の補助を受けられるように、管理栄養士としてお手伝いできることはないか考えていきたいですね。具体的には、食事や生活習慣で、ある程度予防・改善できる病気を減らせるようなお手伝いができたら、と考えています。
つらいこともある。でも、逆境を強みに変えて
――最近、特に力を入れている趣味はありますか?
みにこさん: 中学校~大学まで、ずっと吹奏楽部だったこともあり、今でも楽器を演奏するのが趣味です。また、編曲も趣味の一つです。大学生の頃は、部活とは別にアンサンブルチームを立ち上げて演奏会をやっていた時期もあり、その際に編曲をするようになったのがきっかけです。
最近、ずっとやってみたいと思っていた楽譜販売サイトを、とうとう立ち上げたんです。今はまだ1曲のみの販売ですが、これから、少しずつ編曲活動も行っていきたいですね。
――潰瘍性大腸炎になったからこそ気付いたことについて、教えてください。
みにこさん: 大きく2つあります。1つ目は、食事の大切さです。私の場合は、食事を上手にコントロールできなかったこともあり、再燃を繰り返したのかもしれないと感じているためです。その苦い経験から、日々の食事の大切さに気づき、管理栄養士を目指すことにもつながりました。今の仕事は好きですし、これからも続けていきたいです。
2つ目は、年齢に対する価値観です。最初にお話したように、私は、病気によって、同級生と一緒に高校受験をできずに、1年遅れて高校生になりました。高校での浪人生は珍しかったこともあり、コンプレックスを感じ、高校時代は年齢を隠していました。
その後、大学生の頃に、やっと勇気を出して歳が1つ上であることを公表したんです。ところが、周りの友達はみんな全然気にせず、いつも通りに接してくれて、そのことにとても救われました。「年齢が違っても、みにこはみにこだからね」と言ってくれた友達の言葉が今でも忘れられません。
――最後に、IBD患者さんにメッセージをお願いします。
みにこさん: 病気によって、つらい経験をされてきた方も、きっと多くいらっしゃると思います。でも、そのつらい時期を乗り越えてきたり、真摯に向きあってきたりした人は、他の人には決して得られない強さがあると私は感じています。
今では、こんな風に言えるようになった私ですが、過去には、健康な人をうらやましく思うこともありました。でも、病気になったからこそ気付けたことが多くありますし、それら一つひとつが今の私をつくっていると思うんです。
また、治療の効果がなかなか現れなかったり、同級生と一緒に高校受験できなかったり、つらい経験をしてきたからこそ、逆境にも強くなったと感じています。管理栄養士を目指して勉強していたときも大変なことが多くありましたが、「私は誰よりも、患者さんの気持ちがわかる管理栄養士になれるんだ」という強い気持ちで、勉強を頑張ることができました。
ただ、正直に言うと「病気になって良かった」とは思えないです…。だけど、私の人生の中で、プラスに働いている部分は確かにあると思います。中には、「病気にさえならなければ」と思い、今もつらい思いをされている方がいらっしゃるかもしれません。だけど、つらい経験をしてきたあなただからこそ、逆境を強みに変えることができる力を持っているのだと、お伝えできればうれしいですね。
(IBDプラス編集部)
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