10年以上「潰瘍性大腸炎ほぼ活動期」、そこから脱した転機は?

ライフ・はたらく2021/9/28

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今回のIBD患者さんは、廃材などをリユースしたアート作品や絵本の制作など、アーティストとしての活動の幅を広げている、Yutan(ゆうたん)さんです。潰瘍性大腸炎を発症後、3人のお子さんを出産。育児、嫁ぎ先の「お寺」でのメイク講座開講、ここ数年本格的に取り組んでいるアーティスト活動と、多忙な日々を過ごしています。とてもアクティブなYutanさんですが、10年以上にわたり潰瘍性大腸炎の症状が治まらず、「ほぼ引きこもり」生活だったそう。一時はステロイド依存になり、「これ以上使える薬はないから大腸全摘を考えて」と主治医に告げられたほど。現在のような多彩な活動ができるようになった転機とは、一体何だったのでしょうか。

Yutanさん (43歳/潰瘍性大腸炎歴22年)

1978年生まれ。兵庫県神戸市で育ち、大学4年の春に潰瘍性大腸炎と診断。大学卒業後に結婚し、ご主人の実家のお寺に嫁ぐ。育児と自分自身の体調悪化でほぼ引きこもり生活だったが、36歳の時にメイク講師の資格を取り、お寺でメイク講座を開講。その後、絵本制作や、廃材を使ったアート作品を手掛け、企画展を開催。2021年、自身の経験を基にした著書『自分を整え、暮らしを楽しむ9つのスイッチ』(みらいパブリッシング)を出版。
Instagram : yutanlife
ホームページ:Yutanの森

「お寺で廃棄されるろうそく」を使った作品、百貨店で展覧会開催

――カラフルでキュートさが目を引きますが、よく見ると細部まで手がかけられていて、その世界観に魅了されます。廃棄される「ろうそく」などを使っているそうですが、どうしてそこに目をつけられたのですか?

Yutanさん: 私の家はお寺さんです。法事で1度使用したろうそくは、まだ使える状態であってもすぐに廃棄されてしまうので、「廃棄ろうそく」がたくさんありました。これを使って、新しい価値のあるものに変えられないだろうかと考え始めたことが最初です。

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――どのようにして作品を創り上げていくんですか?

Yutanさん: 最初に木の板に絵を描いて、次に溶かしたろうそくを絵の上に流し込みます。乾くまでに布など多種類の廃材などを混ぜていくと立体的なアートができます。

――今夏には初めて大型の展覧会を開催されました。

Yutanさん: 大阪・梅田の阪急百貨店で開催させていただきました。お話をいただいて、私を中心に各界でご活躍の19人のアーティストさんと一緒に、コロナ流行下でしたが1年かけて準備を進めてきて、何とか成功させることができました。…実はその疲れで今は再燃しています(泣)。アート関連の活動としてはこのような大型の作品制作だけでなく、絵本制作なども行っています。イラストと文章どちらも私が手掛けているのですが、これまでの闘病でいろいろ経験したことがベースになっています。

診断は大学4年、ストレスが多い生活環境

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――最初に潰瘍性大腸炎の症状が現れたのはいつでしたか?

Yutanさん: 大学4年生の春頃、突然トイレで下血がありました。1度ならず2度も…これはおかしいと病院を受診し、検査を受けたところ、「潰瘍性大腸炎」と診断されました。

家でずっと寝込むほど体調は本当に悪かったのですが、「何とか単位をとって卒業しなければ」と、大学には必死で通いました。

実はこの頃の私は母と不仲で…。いわゆる「王道」を求める母に対し、私はいろいろやりたいことがありましたが、それを我慢して、母の期待に応えるために努力しているところがありました。現在は母も私の活動を応援してくれていますが、思い返せば、ストレスが溜まっていたのかなと。

――卒業後はすぐにご結婚されたそうですね。

Yutanさん: 学生時代から付き合っていた主人と結婚して、主人の実家のお寺を手伝うようになりました。勝手がわからないことが多く、「寺のしきたり」に馴染めず、嫁いだばかりの私はさらにストレスを抱えるように。

実家暮らしでもストレス、嫁いでもストレスで、症状も良くならず、という状態に。最初は「左側大腸炎型」だったのですが、結婚後には「全大腸炎型」になっていました。薬はステロイドやサラゾピリンを使っていたと思います。

妊娠中は厳しく体調管理、産後は「引きこもり」

――27歳で第1子を出産されましたね。

Yutanさん: 1人目の長女の妊娠・出産は本当に大変でした。体調が少し安定した頃に妊娠し、悪化しないことだけを意識して厳しく体調管理をしていました。また、私はどうしても初乳だけは子どもにあげたかったので、出産までの約3か月間、薬の服用を中止していたこともあり、余計に気を使いました。

出産後の喜びも束の間、子どもが重度のアトピーであることがわかり、親子で通院・入院の日々が始まりました。成長とともに食物アレルギーも判明し、1つずつ「これは食べられる、これは食べられない」という“実験”の繰り返しでした。

その後、次女、三女と出産したのですが、育児中心の約14年間、「食べる楽しみ」が全くありませんでした。ごはん、豆腐、素うどん、ゆがいたじゃがいも、おもちくらいしか食べてなかったかも。紅茶は唯一飲むことができたので、いろいろなフレーバーティーを試して、詳しくなりました(笑)。

5、6年前までは自宅にこもって3人の子育てと、自分自身の体調のことで精一杯でした。

「あきらめ」から一転「やりたいことをやる」、症状も改善し寛解に

――なかなか先が見えないところから、何をきっかけに変わっていったのですか?

Yutanさん: 36歳の時、主治医から言われました。「あなたはステロイド依存で、他に使えそうな薬がありません。大学病院で大腸全摘を考えましょう」と。

私は大腸全摘を何とか避けたくて、“教科書通り”のIBD患者さんの生活ルールを守ってきたのに、もうそれしか選択肢がないのか、と絶望しました。

これまで自分で自由に意思決定することが難しく、好きにいろいろできることがほぼなかったので、まずは好きなメイクの講座を受講しに行きました。体調は決して良くはありませんでしたが、「無理のない範囲で好きなことをとやってみる」という生活スタイルに変えていきました。

講座の受講生から講師となり、お寺でメイク講座を開くまでになりました。開講当初は陰で文句を言われていたみたいですが、少しずつ受講者が増え、周囲の反応が変わってきて。やがて、周囲の人たちも認めてくれるようになりました。

そんな環境の変化とともに、体調にも変化が。これまでどれだけ薬を飲んでも症状が緩和しなかったのに改善して、寛解に至ることができたんです。これには主治医も驚いていた様子でした。

「心を整えて」、一歩踏み出して

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――現在のような活動を可能にしたのは、ご自身の考え方の変化が大きかったということですね。

Yutanさん: 子どもの行事に、飲まず食わずで、夏でもカイロを張り付けて参加していたような私ですが、今は好きなファッションを楽しんだり、食べることが楽しいと思えるようになりました。

食事については、子どものアレルギーの時と同じように、調子の良いときに少しずつ試していくうちに、「今日はカレーが食べられた」「今日は揚げ物も食べられる!」といったように、食べても調子を崩さない料理が増えていきましたよ。

私は、「心を整える」と言っていますが、自分の心に折り合いをつけて、ストレスをなるべくかけないようにすることで、寛解を維持できるようになってきたと思います。

――最後に、同じIBDの患者さんにメッセージをお願いします。

Yutanさん: 好きなことを見つけて、無理のない範囲で楽しむことをやってみてもらいたいなと思います。病気だからといってあきらめず、周りの目を気にせず行動したら、何かのきっかけができる人もいるのではないかと思います。

それからもう1つ。「自分の気持ちをきちんと言葉にして伝える」こと。私の場合、症状が悪化していた頃、家族とのコミュニケーションも破綻していて、意思疎通ができていなかったのですが、言語化することで周囲に理解が広まったなと実感しました。

精神的に「暗闇のトンネルの中」であっても、何かの「スイッチ」が入ると光が照らされ、道が見えてきます。そんな日が来ると信じて、一歩踏み出してみてほしいなと思います。

(IBDプラス編集部)

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