クローン病の「男性看護師」が考える「起業」を見据えた理想の働き方

ライフ・はたらく2022/8/5

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今回のIBD患者さんは、大学病院で看護師として働く「やっち」さん。小学6年生の時にクローン病と診断。さまざまな工夫で重症化を避けながら、「医療の世界で働く」という夢を叶えました。男性看護師として、夜勤などのハードワークをこなしながら、新たな目標を達成するために、日々コツコツと勉強をしているそう。どんなことに気を付けながら働いているのか、将来の夢などについても語っていただきました。

やっちさん(クローン病歴11年)

1998年生まれ。小学6年生の春にクローン病と診断。小・中・高校はサッカー部。国公立大の看護科を卒業後、大学病院に就職。現在は血液内科で主に血液がんの患者さんを担当する。新たな目標「訪問看護ステーションの起業」に向けて勉強中。

コロナ禍で看護師デビュー、勤務外の行動も慎重に

――看護師として勤務2年目だそうですが、大学病院ではどのような仕事に携わっていますか?

血液内科に所属しています。血液の病気はいろいろありますが、白血病など血液がんの患者さんが多く入院されていて、輸血業務や抗がん剤投与など、多岐にわたります。週に1回は夜勤があります。2年目からは、新人教育の担当も任されるようになりました。

――コロナ禍での勤務開始となったわけですね。大変なことはありますか?

看護師としての勤務が始まったのが2021年4月。血液がんの患者さんは免疫機能が低下している方も多く、かなり気を付けてきました。自分の行動が患者さんに影響しないよう、感染症対策として、勤務外でも人が多いところは極力避けるようにしてきました。家と病院の往復だけになるのも仕方なし、かなと(苦笑)。

ibd-yacchi-300.jpg※イメージ

――勤務する大学病院の「男性看護師」の割合はどのくらいですか?

10人中1人か2人程度ですね。大学の看護科も、女性10人中男性1人という環境でした。男性だからという理由で実習のリーダーを任せられたりもしましたが、産婦人科実習で分娩の立ち合いを拒否されるなど、肩身が狭く、心が折れそうになることもありました。

男性看護師を目指す方、または、女性の多い職場で働く予定の男性もいると思いますが、「めげないで」頑張ってほしいと思います。「先輩看護男子」は、ある意味での「アウェーな感じ」を全員経験しているはずです(笑)。一緒に働く女性から「嫌われない努力」をすることも大事です。特に医療の場面では、チーム連携が重要。雰囲気をつかみながらうまくコミュニケーションするように努めています。

――現在のクローン病の症状はどのような感じでしょうか?

今は寛解期で、落ち着いています。勤務する大学病院で定期検診を受けています。働き始めてから、夜勤後に体調を崩したり、下血っぽい症状が出たこともありましたが、再燃には至っていません。一人暮らしをしていますが、母親が作ってくれていたIBDのごはんを思い出しながら自炊して、薬やエレンタールを使いつつ、コントロールできています。

小学校3、4年からトイレが頻回に、確定診断まで病院を転々

――看護師を目指したきっかけを教えてください。

最初に意識するようになったのは、高校2年生で初めてクローン病で入院した時でした。診断されるまで病院を転々とした経験や、治療、入院の経験から、医療系の仕事に就きたいと思っていました。最初は臨床検査技師を目指そうと考えていました。でも、そこからいろいろありまして…。最終的に、国公立大の看護科の試験に合格したので、看護師を目指すことにしました。

――クローン病と診断されるまで時間がかかったそうですが、診断されたのはいつですか?

診断されたのは小学6年生の春でした。小学3、4年生くらいからお腹を下しやすくなり、頻繁にトイレに行かなければならない状態でした。小学生の男子が下痢でトイレに行くとなると、かなりの勇気が必要で…。人のいない時間を見計らってトイレに行っていましたよ。

6年生になると、肛門のあたりにできものができ、母親と病院に。できものを切除してもらうも、再びできてしまい、「じゃあ、内科系の病気かな…でも、何だろう」みたいな感じで診断がつかず、病院を転々としました。最終的に、今勤務している大学病院で検査を受け、クローン病と診断されました。その当時は、医師の話を十分に理解できなかったけど、付き添いの母親が涙を流している姿を見て、事の重大さは認識しました。

――診断が確定した後の学校生活はどのような感じでしたか?

検査で学校を休む日などは、担任の先生がクラスメイトにうまく説明して、フォローしてくれていました。また、中学生になってからは、弁当を持参したらと周囲に言われたのですが、自分だけ弁当というのは抵抗があり、どんな食べ物に気を付けなければいけないかも自分で判断できるようになってきていたので、給食を継続しました。揚げ物の衣を外すなど、自分なりに工夫しながら乗り切りましたね。

小・中・高校はずっとサッカーを習っていて、ときどき泊まりがけの遠征もあったりして、食事やトイレのことは大変でした。チームメイトには「トイレに何度も行く」ことは認識されていたと思いますが、病気のことは一切伝えていませんでした。

――家での食事など、家族がサポートしてくれていましたか?

家での食事は母親がいろいろ工夫してくれました。5人家族で、配慮が必要なのは私だけだったのですが、私用のIBDに配慮した低脂質・低残渣メニューを用意してくれるのはもちろん、時には家族が私に合わせたメニューを一緒に食べてくれたりしました。高校は、母親が作るIBDに配慮したお弁当を持って行っていました。

高校生になると、部活後に終電で帰ることも多く、外食する機会も増えていました。「ラーメン食べに行こう」と誘われれば、その場は付き合いで一緒に食べて、後はエレンタールだけにするとか、帳尻を合わせて、体調をキープできるように心がけました。

家族をがんで看取り、新たな目標を見つける

――先の目標として「訪問看護ステーションの起業」を目指しているそうですね。

はい、その夢に向かっていろいろ勉強中です。動機としては、大きく2つあります。1つは、大学生の時に父親をがんで亡くしたことです。最期は家族全員で、病院で看取りましたが、「家に連れて帰ってあげたかったなぁ」という後悔が残りました。

もう1つは、男性看護師としてこの先どうしたいかを考えた時、クローン病に配慮しながら、夜勤などタフな看護業務をずっと続けていくのは難しいと思ったからです。

父を家で看取ってあげたかった気持ちと、看護師としての将来像をクロスして考えた時に、「訪問看護ステーション」が思い浮かびました。

――「訪問看護ステーション」は、どんな役割がありますか?

訪問看護ステーションは、保健師か看護師が管理者となって運営する事業所です。そこから看護を必要とする方の自宅に行き、看護します。24時間対応は大変ですが、自分が経営者になれば、クローン病に配慮した勤務形態をとることも可能でしょうし、今以上に働きがいを感じられると思っています。

――通常の勤務だけでも大変そうですが…。

立ちっぱなしの仕事できついことも多いですが、目標があると、結構頑張れるもので、生活にメリハリが出てきて、いいリズムが作れています。夜勤後も少し休んだら、起業に向けた勉強と、「腸活」についての資格を取るための勉強をしています。

「自分で環境を変える力」は、誰もが持っているはず

――やっちさんの行動力はどんな思いから生まれたものですか?

一時的には大変でも、結果的には病気のため、将来のために良い方向になると信じれば、環境を変える行動を、どんな人でも起こせるはずと、私は思っています。

「難病」って言われれば落ち込むし、「一生治らないのか」と不安になったりすることは当然あると思います。小学生でクローン病とわかり、10代から10年以上この病気と向き合ってきた中で、精神的につらい場面ももちろんありました。

それでも、私は「病気のせいにしない、環境のせいにしたくない」と思って、努力している最中です。自分が置かれた環境を、自分自身で変える力は、誰もが持っていると思うんですよね。仕事以外のことでも、何かの目標に向けて一歩踏み出すことが、モチベーション維持になるんじゃないかなと思います。

(IBDプラス編集部)

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