オリンピックという最高の舞台に立つために-潰瘍性大腸炎のカーリング選手が手術を決断した理由

ライフ・はたらく2023/10/27

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今回ご紹介するのは、カーリング選手として活躍中の阿部晋也さんです。トリノ、バンクーバーオリンピックで日本女子代表監督を務めた後、現役に復帰。日本代表選手として数々の選手権で素晴らしい結果を出す中、2019年、39歳で突然の潰瘍性大腸炎発症…。コロナ禍での入院、周囲の反対を押し切っての手術決断、別の病気の発覚など、数々の困難に直面した阿部さん。それでも、「病気から得た教訓」は今でも大きな糧になっているそう。選手兼スタッフという日常についても伺いました。

阿部晋也さん(43歳/潰瘍性大腸炎歴4年)

北海道コンサドーレ札幌カーリングチームの選手。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックでは、日本女子代表の監督を務めた。その後、選手に復帰し、日本代表に選ばれ、2018年パシフィックアジアカーリング選手権大会優勝。2019年世界男子カーリング選手権大会4位入賞。第36~38回日本カーリング選手権大会優勝。アドヴィックスカップ2023優勝、大会MVPスポーツナビ賞受賞。チームの中心メンバーとして、学校訪問など地元の子どもたちと交流を行う社会連携活動も積極的に行っている。

オリンピック・カーリング日本女子代表監督を辞め、再び選手として現役復帰

――カーリングを始めたきっかけを教えてください

僕の生まれた北海道北見市常呂町は日本で初めてカーリング専用施設ができた町で、父もカーリングをやっていました。当時は今ほど競技志向ではありませんでしたが、カーリングから帰ってきた父が仲間たちと酒を飲みながらずっとカーリングの話をしているのを、楽しそうだなと眺めていたのを覚えています。僕自身も遊び程度に幼い頃からカーリングには触れていましたが、競技として本格的に始めたのは中学1年生の時です。初めて同世代でチームを作り、日本ジュニア選手権を目指しました。高校生の頃、長野オリンピックでカーリングが正式種目になり、オリンピック出場というさらに大きな目標ができました。

それでも20歳の頃、全く別のことをやりたいと思って一度カーリングから離れたことがあるんです。2年半くらい海外にいたのですが、やっぱりカーリングが好きだと思い帰国しました。その頃、青森でオリンピック出場を目指していた女子チームのメンバーが同郷の友人だったんです。そのチームにはカナダ人のコーチがいたのですが、カーリングのことがわかって英語も話せる日本人のコーチが欲しいということで「チーム青森」のコーチを引き受け、トリノオリンピックを目指すことになりました。

その後、日本女子代表監督として、トリノオリンピック、バンクーバーオリンピック2大会連続で出場しました。

――選手ではなく、コーチ・監督という立場になっていかがでしたか

自分でプレーするのが一番楽しいですが、人をサポートするのは嫌いじゃないし、カーリングに恩返ししたいという気持ちで引き受けました。とは言っても、まだ20代で指導歴もほとんどなかったので、指導者というより「一緒に伴走するパートナー」という感じだったと思います。自分なりに試行錯誤しながらバンクーバーオリンピックまで監督を続けました。

ですが、バンクーバーオリンピックでは思うような結果が出せず、また4年後と考えた時に、僕自身もっと学び直す必要があると感じたんです。その方法を考える中で、「コーチよりも現役選手として学ぶことの方が多いんじゃないか」という思いが強くなっていきました。それで、昔の仲間たちと結成したのが「4REAL(フォーリアル)」です。その後、北海道コンサドーレ札幌が4REALを引き継ぐことになり、現在もコンサドーレのカーリング選手、兼スタッフとして働いています。

(c)どうぎんカーリングクラシック1

(c)どうぎんカーリングクラシック

――普段の阿部さんの1日のスケジュールはどんな感じですか

午前中にリンクで少し練習をして、その後出社し、事務仕事やミーティングなどを行います。その後、夕方までトレーニング、もしくは一休みして夜からトレーニングするというのが基本的なスケジュールです。トレーニングは、走り込みやウエイトトレーニングを中心に行っています。できるだけ、リンクの時間・オフィス業務の時間・トレーニングの時間をバランスよく配分するようにしています。

潰瘍性大腸炎発病後に体重が30kg減少、信号が青のうちに渡り切れず…

――体調に異変が出て、潰瘍性大腸炎と診断されるまでの経緯を教えてください

2019年1月、アメリカ遠征時に突然腹痛が起こり、トイレで下血するということが何度かありました。でも、その後は特に何もなかったので食べ物が変わったせいだと思い、そのままにしていました。しかし、4月からまた同じようなことが起こるようになり、7月になると下血の回数が1日10回以上になり、食欲も落ちていきました。さすがにこれはマズイと思い、合宿中に総合病院を受診しました。内視鏡検査の結果、潰瘍性大腸炎と診断され、即入院となりました。最初はすぐ治るだろうと気楽に考えていましたが、難治例だったようでステロイドがなかなか効かず、焦りが募っていきました。

――入院中はいかがでしたか

入院自体が初めてでしたし、最初の1か月は絶食状態だったので身体が衰えていくのを感じてすごく嫌でした。院内のトイレと病室を往復するだけの毎日でしたが、下血が治まるとようやく外出許可をもらうことができました。ところが、張り切って外に出たまではよかったものの、信号が青のうちに渡り切れなかったんです…本当にショックでした。

その日から、復帰に向けて少しずつリハビリを始めました。腹圧をかける運動は禁止されていたので、少しずつ歩く距離を増やしていきました。モチベーションを高めるために、院内を歩くときはトレーニングウェアに着替えるようにしていましたね。1週間後には10km歩けるまでに回復しました。

次のオリンピックを視野に「大腸全摘」の手術を受けることを決断

――退院後、復帰までの経過を教えてください

2019年9月の終わり頃に退院し、11月のパシフィックアジアカーリング選手権大会に出場することになりました。補欠でしたが急遽試合に出ることになり、念願の復帰となりました。それで安心したのも束の間、翌年2月の日本カーリング選手権大会の最中に再燃してしまいました。ステロイド、ネオーラル(免疫調整剤)、アザニンで様子を見ながら何とか優勝することはできましたが、大会の途中で下血が始まり、終わって1か月も経たないうちに2回目の入院となりました。

――カーリング選手を続けていくことも含め、医師とはどのような話をされましたか

さまざまな薬や血球成分除去療法を試したのですが、なかなか良くなりませんでした。僕自身、このままだと次のオリンピックに間に合わないと考えるようになり、消化器内科の先生に「これ以上良くなる可能性が低いのであれば、手術も含め検討したい」と伝えたところ、一度外科の先生と話してみるように言われました。

外科の先生とじっくり話し合い、大腸全摘術を3期手術で受けることを決意しました。しかし、その頃ちょうど新型コロナの緊急事態宣言が出て、予定されている手術は全て白紙、緊急手術のみ行うという方針に変わりました。2020年4月、何とか予定通り腹腔鏡手術が受けられることが決まったのですが、その翌々日くらいから盲腸が腫れてきてしまい、「破裂したら開腹手術になるから何とか持ちこたえて!」と言われ、3日後に無事、腹腔鏡手術を受けることができました。

その後一度退院しましたが、術後検査で「血小板の数が通常の10分の1」になっていることがわかり、血液内科で検査を受けることになりました。白血病の可能性もあると言われましたが、検査の結果「特発性血小板減少性紫斑病」と診断されました。本来は血が止まらなくなるなどの症状が出る病気ですが、この病気の第一選択薬であるステロイドをIBDの治療で使っていたため、症状が抑えられていたようでした。こちらの治療ではステロイド以外の自分に合った薬が見つかり、2週間くらいで血小板が正常値に戻りました。

2回目の手術は7月の初めに受けましたが、この時は腸閉塞との闘いでした。腸閉塞の予防に使える漢方があるとのことでしたが、漢方はドーピングに引っかかる可能性があるため使うことができません。何とか詰まらないような食事を心掛けていたのですが、すでに腸閉塞気味になっており、8月に急遽3回目となるストーマ閉鎖手術を受けました。それでも、家族やチームメイト、クラブのスタッフなど、たくさんの人が応援してくれていましたし、復帰という明確な目標があったので、心が折れず何とかやってこられたのだと思います。

――阿部さんご自身は、手術を受けていかがでしたか

実は、家族も周囲も手術には大反対でした。「大腸全摘して本当にアスリートとして続けていけるのか?もっと他の方法を探そうよ」と。でも、病気になって30kgも痩せてしまっていましたし、治療の効果も思うように得られず、僕自身は手術に踏み切りたいという気持ちが強かったですね。今は体重も18kg戻って、トレーニングも通常通りのメニューをこなせるようになり、先日も20歳の学生と一緒に700m走を10本やってきました(笑)。結果としては、手術を受けて正解だったと思っています。

カーリングは「大切なパートナー」、これからも多くの人に魅力を伝えていきたい

――北海道コンサドーレ札幌と、チームメイトたちへの思いをお聞かせください

北海道コンサドーレ札幌は、北海道のみなさんとスポーツを通じてともに成長していくことを目指しているので、僕もカーリングを通じて貢献していきたいと思っています。チームメイトは僕が大きな病気をしてからもずっと一緒にやってくれていますし、若い選手もついてきてくれているので、彼らに感謝しながら、僕が得たことをしっかり伝えていきたいです。

(c)どうぎんカーリングクラシック2

(c)どうぎんカーリングクラシック

――阿部さんにとって、カーリングとはどんな存在でしょうか。魅力も教えてください

「大切なパートナー」です。今後もできる限り現役を続けていきたいですが、いつかは引退する日が来ると思います。その時は、自分がお世話になった舞台で、後進を育てていきたいですね。カーリングはチームスポーツですが、1チーム4人と人数が少ない分、自分の動きが全てに関わってきますし、一瞬たりとも気を抜く暇がないスポーツです。チーム全員が勝利、あるいは目標に向かって戦っていくという達成感がありますし、そこが魅力だと思います。

今日と同じ明日は二度と来ない。だからこそ「自分」のために一歩先の目標を持とう

――最後に、IBD 患者さんにメッセージをお願いします

つらかった入院生活は、僕の人生にいくつもの覚悟を持たせてくれました。その時に学んだ「今日と同じ明日は二度と来ない」という思いを胸に、病気になる前よりも一大会一試合に全力で臨むことができています。そう簡単に次は無いですから…。これも病気から得た教訓です。

執刀医の先生に「IBDは、患者さん自身が強くこうなりたいと思うことで回復するし、望んだ生活を手に入れられる。君もその一人だよ」という言葉をいただいたことがあります。IBDが本当につらい病気だということは僕自身痛いほどわかっています。だからこそ、同じIBDの人たちには「自分」のために一歩先の目標を持って頑張って欲しいし、僕も「自分」のために、これからもカーリングと向き合っていきたいと思っています。

(IBDプラス編集部)

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