潰瘍性大腸炎になって見えた進むべき道―医師として“はたらく”日を目指して
ライフ・はたらく | 2021/7/12 更新
学生や就活生でこの記事を読んでいるという人も多いのではないでしょうか。今回は、「平成30年度 日本炎症性腸疾患学会 市民公開講座」にIBD患者代表として登壇された現役医学生、松根佑典さんにお話を伺いました。一見順風満帆に見える松根さんの人生ですが、決して平坦な道のりではなかったようです。病気と学業の両立、その先に見えた「進むべき道」とは。
松根 佑典さん(26歳、潰瘍性大腸炎歴6年)
「医師にならなければ」というプレッシャーが大きなストレスに
――幼い頃から医師を志していたと伺いましたが、何かきっかけがあったのでしょうか?
松根さん: 父が耳鼻科医だったので、その影響が一番大きいですね。しかも私は一人っ子なので、ごく自然な流れで医師を志すようになりました。その後、厳しいことで有名な中高一貫の進学校に入学し、6年間の寮生活を送りました。少しのことではへこたれない粘り強さは、この頃に培ったものだと思います。とはいえ、寮は高校1年まで相部屋でしたし、休みもほとんどない勉強漬けの毎日だったので、ストレスは溜まっていたと思います。でも、この頃は模試の前にお腹が緩くなる程度で、ごく普通の学生生活を送っていました。
――潰瘍性大腸炎と診断されるまでの経緯を教えてください。
松根さん: 体調に異変が起きたのは、医学部の合格通知を手にしたわずか1週間後のことでした。今思えば医師にならなければというプレッシャーや、受験勉強の疲れやストレスがあったのだと思いますが、何の予兆もなく、お昼ご飯を食べてトイレに行ったら、突然下血したんです。
すぐに近医を受診したところ、入学予定の大学の附属病院を紹介され、皮肉にもそこで潰瘍性大腸炎の診断を受けました。しかし、当時はたまに下血する以外の自覚症状がなく、「コントロール可能な良性疾患」との説明を受けていたので、あまり重く考えていませんでしたね。むしろ、大学に合格した嬉しさや安堵感の方がずっと大きく、難病と告げられても、特に落ち込んだりはしませんでした。
急性増悪し、大腸を全摘出
――大学に進学してからは、いかがでしたか?
松根さん: 私が進学した大学は、1年生は全学部寮生活という決まりがありました。寮生活は慣れていましたが、他学部の人たちと馴染むのに時間がかかり、ストレスを抱えていました。2年生に進級すると、今度は基礎的な勉強に解剖実習などが加わり、朝から晩までずっと大学にいるような日が続きました。そのうえ、定期試験は10科目以上あり、成績が悪ければ再試験もなく即留年というものが多く、帰ってからも予習・復習をしなければ間に合いませんでした。この頃から、忙しさのあまり薬を飲み忘れることが多くなっていったように思います。
そして、2年生の終わり頃に症状が悪化して入院。この時すでに、ステロイド治療を3日続けても効かないような状態になっていました。その後も体調は回復せず、入退院を繰り返し、勉強にも身が入らず単位を落としてしまいました。さらに最悪の状況は続き、今度は帯状疱疹に悩まされるようになりました。もはや病気のコントロールが全く効かないような状態でしたが、できるだけ手術は避けたいと思っていました。
――そうですよね…。それでも手術を決意するに至ったのは、何か心境の変化があったのでしょうか?
悩んでいた私の背中を押してくれたのは、主治医の「私の息子でも、同じ治療法を提案します」という一言でした。授業でよく聞く「家族ならどうするかという視点で説明すれば、患者さんは安心できる」ということを、身をもって体験した瞬間でもありました。
――術後の経過はいかがでしたか?
松根さん: 実は術後に腸閉塞を発症し、治療のために鼻からチューブを入れたのですが、これが一番つらかったですね。この時の痛みや苦しみはずっと忘れないと思いますし、医師になってから、絶対何かの役に立つと思っています(笑)。結局、退院までに1か月半を要してしまいましたが、術後は信じられないくらい身体が軽くなり、トイレに駆け込むこともなくなりました。
退院後は復学までに少し時間があったので、毎日きちんとスケジュールを立てるクセをつけ、管弦楽団の雑務や、TOEICの勉強などをしながら、無理なく日常生活に戻れるよう調整していきました。さらに、先のことは考えず、目の前の「今できること」に集中することを心がけました。計画的に前倒しで動くようになってから成績も上がったので、IBDで受験勉強をしている人や資格取得を目指している人には、特にオススメのやり方です。
病気を「自分自身をトレーニングするためのチャンス」と前向きに捉えて
――松根さんは幼少期から「医師になる」という夢をお持ちでしたが、潰瘍性大腸炎になったことで、キャリアビジョンに変化はありましたか?
松根さん: はい。それまでは何となく医師を目指していましたが、手術の経験を機に、「消化器外科医になりたい」という明確な目標ができました。「患者と医師の中間」という立場は、誰にも負けない“強み”だと思ったのです。将来はIBDの専門医として、自分の大学に恩返しをしたいと考えています。
――市民公開講座で体験談を話すという経験はいかがでしたか?これ以外にも、ご自身の経験や能力を活かした活動をされているんですね。
松根さん: 市民公開講座では、自分の経験を伝えるだけでなく、会場にいたIBD患者さんの声も聞けるいう、とても貴重な経験をさせていただきました。最近では東京オリンピックに向けて、訪日外国人が体調を崩したときなどに英語で医療サポートをする「Team Medics」の活動にも参加しています。今後も、医師と患者という二つの視点を忘れず、成長していきたいと考えています。さらには母校の管弦楽団も続けています。人として大切なさまざまな経験をさせてくれたオーケストラには義理を通したいと思っています。
――それでは最後に、IBD患者のみなさんにアドバイスやメッセージをいただけますでしょうか。
松根さん: 私のように10~20代でIBDになり、不安を抱えている人は多いと思います。学校のこと、将来のこと、そして人間関係のことなど、私もたくさん悩みました。でも、世の中には自分一人ではどうにもならないことがたくさんあります。幸い、IBDは適切な治療をすれば、多くの人が社会復帰できる病気です。まずは自分の身体を第一に考え、しっかり治療を続けてください。
そして「今、できる目の前のこと」だけに集中しましょう。学校に毎日行けないなら週に数回でもいいから行く、受験を控えているなら毎日少しでも勉強を先に進めるなど、自分の力でどうにかなることだけに集中するクセをつける。それ以外のことは全部捨てるくらいの気持ちで、病気になったことを悲しむのではなく、「自分自身をトレーニングするチャンス」だと捉えてみましょう。何が良くて何が悪かったのかは、後にならなければわかりません。今、毎日がつらいという人も、きっと、病気が“強み”に変わる日が来ると思います。
(取材・執筆:眞田 幸剛)
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