人生を見直すきっかけに―クローン病が教えてくれた「変化を受け入れる大切さ」

ライフ・はたらく2019/4/9

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添田 拓郎さん

IBDになって転職したという人は少なくありません。しかし、「今の仕事が大好き」という人にとっては、とても辛い決断でもあります。今回お話を伺った添田さんもまさにそんな経験をした一人。クローン病が原因で、大好きだった記者という仕事から転職をした添田さんが、立ち止まってみて初めて気付いた「大切なこと」とは?

添田 拓郎さん(34歳、クローン病歴5年)

福島県出身。大学卒業後、広告会社勤務を経て、地元・福島でテレビ局の現地記者となる。しかし、29歳のときにクローン病と診断され、翌年に福島県職員に転職。現在、事務職員として勤務している。5歳の長女と1歳の長男の父でもある。

ふるさとを襲った大震災、豪雨…そしてクローン病の発病

――クローン病と診断されるまでの経緯をお聞かせください。

添田さん: 2008年から、地元福島のテレビ局で記者として働いていました。24時間365日、事件や事故があったらすぐに現場に直行しなければならず、プライベートの時間はほとんどありませんでしたが、地域のイベントや事件・事故などの取材をして「現場の声を伝える」という仕事に、面白さとやりがいを感じていました。

2011年3月11日。東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故が発生しました。同じ年の7月には「平成23年7月新潟・福島豪雨」も発生し、福島県内のさまざまな現場を取材に飛び回る多忙な日々が続きました。

身体に異変を感じたのは翌年の夏頃からで、日中に急激な倦怠感や睡魔に頻繁に襲われるようになったんです。異常な寝汗や下痢などの症状も出ていたのですが、仕事による疲労と決めつけていました。しかしその後、体重が10kg近く急激に減少し、さすがにおかしいと思って病院を受診しました。そこで受けた検査で炎症反応の指標であるCRPの数値が異常に高かったのですが、「風邪でも高くなる」と言われ、それ以上の検査は受けませんでした。

――今思えば、この頃から異常を知らせるサインが出ていたんですね。

添田さん: そうですね…。さらに、2013年の夏から秋にかけて痔瘻を発症しました。しかし、この時もただの痔瘻と診断され、手術のために1週間ほど入院しただけでした。

そして2014年のゴールデンウィークに、激しい腹痛に襲われました。痛みが繰り返し半日以上も続き、地元の病院に緊急搬送されました。その後一旦帰宅したものの、腹痛は全く収まりませんでした。このため、再度病院を受診し、その場で腸閉塞と診断され、そのまま入院することになりました。入院中に受けた内視鏡検査の結果、初めてクローン病と診断されました。

――そのときの率直な気持ちをお聞かせください。

添田さん: 医師からクローン病と告げられるまでは自分の身体に何が起こっているのかわからず、落ち着かない日々が続いていました。また、自分の症状をネットなどで調べていた時に、クローン病の可能性をわずかに感じていたので、病名を告げられた時は、「やっぱり」という気持ちが少しと、「なってしまったものはどうしようもない。病名がわかって良かった」という安堵感が大きかったように思います。

診断後、病気について妻にもできる限り冷静に伝えましたが、唐突なことだったのでうまく飲み込めず、実感がわかないようでした。「命に関わる病気なの?」とすごく心配していましたが、私からの説明とインターネットで得た知識で少し不安がやわらぎ、状況を受け止めていたようでした。

家族を守るために選んだ、新たな道

添田 拓郎さん

添田さん: 私の場合はクローン病だったことのショックよりも、「この先、どうやって家族を養っていこう…」という不安の方が大きかったです。病気のせいで仕事を失い、家族を路頭に迷わせるわけにはいかなかったので。自分のことよりも、今の生活をどう維持していくのかーー。落ち込んでいる時間はありませんでした。

――大好きな記者の仕事を辞めるというのは、まさに苦渋の決断だったのではないですか?

添田さん: はい。退院後も記者の仕事を続けていましたが、「また長期入院したら…」と思うと、このまま続けていくことは無理だと感じていました。一方で、記者というやりがいのある仕事を辞めることには複雑な気持ちもありました。それでも、仕事と家族のどちらが大事かと考えたとき、「仕事は替えが利くけれど、家族に替えはない」と思い、転職を決意しました。

転職すると決めてからは、ハローワークに相談したり、障害者の就業を支援している団体に話を聞きに行ったりして、職種にこだわらず「福島で働けて、長期入院しても辞めることなく家族を養える仕事」を探しました。しかし、なかなか希望する仕事には巡り合えず…。そんなとき、ふと目についたのが福島県職員の「民間経験者採用」の募集でした。狭き門でしたが、必死の思いで筆記試験と面接に挑んだ結果、合格することができました。覚悟を決めてなりふり構わず挑戦すれば、自分の思いが結果とつながることもあるんだと、今回の転職を通して強く感じました。

――面接でクローン病であることは話しましたか?

添田さん: まさか採用になるとは思っていなかったので、面接では話しませんでした。しかし、採用の連絡をいただいた際に、県職員として長く働くためにもきちんと話さなければと思い、「クローン病という病気を持っていますが、大丈夫ですか?」と伝えました。内心ビクビクしていたのですが、「同じ病気の方もいるので問題ありません」との言葉をいただき、心底ホッとしたのを覚えています。

――現在のお仕事について教えてください。

添田さん: 行政職員として、日々事務の仕事をしています。今は基本的には残業もなく、記者だった頃に比べると、計画的に休むこともできています。終業後や休日は、家族と一緒に過ごすことが多いですね。また、職場の音楽サークルで、趣味のコントラバスの演奏を楽しんだりもしています。ストレスを溜めずに病気と仕事のバランスを維持することを心掛けています。

――職場の方に、病気のことは伝えていますか?

添田さん: 最低限、上司には伝えるようにしていますね。病気のことを理解してもらうことで、精神的にも安心できます。以前所属していた部署では、上司だけでなく、周囲の職員にも病気のことを説明していました。職場の歓送迎会や忘年会などでお酒を勧めてくる先輩や同僚に対しても誤解がないように、必要があれば話すようにしています。

病気は「新しい自分」と出会う、ひとつのきっかけ

――日常生活や食事について気をつけていることはありますか?

添田さん: 病気を悪化させないために、極力食事は摂らないようにしています。その代わりに、エレンタールを毎日4包以上飲んでいます。私の場合は、エレンタールにフレーバーをミックスし、1時間程度冷蔵庫で冷やしてから飲んでいます。オススメのフレーバーは、オレンジとヨーグルト、青リンゴとグレープフルーツの組み合わせですね(笑)。

病気が診断される前はお酒をよく飲みに行ってましたし、食べたいときに食べたいものを好きなだけ食べるというような生活を送っていました。今はたまに食堂でうどんやそばを食べる程度ですね。付き合いで外食をするときも、お酒は一切飲みません。食事の量はその時の体調に応じて決め、食物繊維と脂質の多いものは控えるようにしています。

――最後に、IBD患者のみなさんにアドバイスやメッセージをいただけますでしょうか。

添田 拓郎さん

添田さん: クローン病を発症するまでは、猪突猛進に仕事ばかりしていました。家族との時間を作ることがなかなかできず、記者という仕事に没頭していましたね。クローン病は、そんな私の“ブレーキ”となり、人生を見直す機会を与えてくれました。

クローン病になったことで私の人生は大きく変わりました。やめなければならないこと、あきらめなければならないこともありました。しかしその反面、病気を通して自分の中に新しい価値観が生まれたり、新しい人との交流を持つきっかけにもなったと感じています。ですから、多少不便だと思うことはあっても、クローン病になったことを「不幸」だとは捉えていません。

以前の職場の方から、「神様は、試練を乗り越えられない人に課題は与えない。乗り越えられるからこそ、課題を与えている」という言葉を教えてもらったことがあります。難病になったからといって「自分はダメだ」とか「他の人よりも劣っている」などと、決して自分を責めないでください。病気が、人生の新しい可能性を見出すひとつのきっかけにもなるのですから。

(取材・執筆:眞田 幸剛)

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