【はたらくスペシャル】「病気を原動力に」-医師・石井洋介が語る生き方(後編)
ライフ・はたらく | 2020/4/17
潰瘍性大腸炎になったことを機に人生が激変。偏差値30からの医学部受験にも成功した消化器外科医・石井洋介先生。高知県の研修医不足を解消するユニークな取り組み「コーチレジ」の発起人、大腸がん早期発見のために考えられたアプリゲーム「うんコレ」の開発者としても有名です。自身のクリニックを「ゲームのセーブポイントのような気軽な場所と思って欲しい」と優しい笑顔で語る石井先生が、医療者として、IBD患者として、伝えたいこととは…?
【後編】となる今回は、うんこ学会やうんコレについて、また、医師としての「はたらく」についてお聞きしました。
石井 洋介さん(39歳/潰瘍性大腸炎歴23年)
公式ホームページ:141ちゃんねる
ヘンなラグビー部で学んだ「ありのままの自分」でいることの大切さ
――大学生活はいかがでしたか?
石井先生: 22歳で医学部に入学したのですが、青春時代を取り戻すべく、いろいろ無茶をしましたね。一番の無茶は、やっぱりラグビー部にいきなり入ったことです(笑)。外科医の本に、“医者に大事なスキルは、体力とコミュニケーション能力”と書いてあって。「自分にはどっちもないじゃん」と。それで、たまたま縁があったラグビー部に入ったのですが、そこでの出会いは僕にとって非常に大きなものでした。
それまでの僕は、「大学に入ったら病気のことや大腸が無いことは隠して生きていこう」と思っていました。外れ値なエピソードなので、話したら周りが引いてしまうと思ったからです。ところが、ラグビー部は変人の集まりだったんです!30過ぎて医学部に入った人、大検で医学部に入った人、考えられないくらい太っている人、どうしてもたばこがやめられない人など、その集団の中では、僕は「普通すぎる人」でした。大腸が無いくらいでは全く驚かれず、むしろキャラが薄いくらい(笑)。そこで初めて、「世の中が求める“普通”の基準値がとても高い」ということを知りました。病気でも優秀な人はたくさんいるし、医学部にもコンプレックスを抱えている人がたくさんいることに気付かされたのです。普通って、周りと比較して平均以上か以下かみたいなものの見方ですよね。そして、どんな過去があろうと「ありのままの自分」を受け入れてくれる仲間の存在は、僕に安心感と自信を与えてくれました。
――とても充実した大学生活だったのですね。その後は、すぐに外科医になられたのですか?
石井先生: そのつもりだったのですが、5年生のとき、高知の病院に就職した仲良しの先輩が過労死してしまったんです。運動部のキャプテンを務めるような人格者で、「良い臨床医になるために、もっと自分を磨くんだ」と、いつも一生懸命でした。そんな先輩が、劣悪な労働環境でうつになり…。そのとき、ふと、「自分を育ててくれた高知の問題を放って、都会に行ってしまって良いのだろうか…」という気持ちが湧いてきたのです。そして、自分の人生を悔いのないものにするためにも、役立つことを1つでもしてから高知を出ようと決めたのです。
当時、研修医の多くが都会に流れ、地方の病院はどこも人手不足でした。2人分の仕事を1人でやらなければならず、医師全体が疲弊していました。一方で、人手不足であること以外は、やっていることも学べることも、都会と地方でほとんど変わらなかったのです。つまり、人手不足さえ解消されれば、大きく変わるはずだと思ったのです。そこで仲間に声をかけ、「コーチレジ」という、高知県の研修医(レジデント)を増やし、心のケアもするという組織の立ち上げを支援し、就職説明会など、いろいろな場所でプロモーション活動を行いました。コーチレジの成功を見届けたのち、僕は高知を出て、夢にまで見た憧れの横浜市立市民病院に就職。消化器外科医としての一歩を踏み出しました。
救えなかった命…。「うんこ」学会を立ち上げた理由とは?
――消化器外科医時代のエピソードをお聞かせください
石井先生: シングルマザーの娘さんに代わってお孫さんの面倒を見ていたおばあちゃんのことが忘れられないですね。僕も両親の離婚後、母が働いている間はおばあちゃんに面倒を見てもらっていたので、自分と重ねる部分があったのかもしれません。なので、その方が検査の結果、「ステージ4の大腸がん」であることがわかったときは、本当にショックでした。早く異変に気付くことができていたら、もっと長くお孫さんの成長を見守ることができたのではないかと思うと、やりきれない気持ちになりました…。やがて、「彼女を助けられる方法はなかったのだろうか?」と考えるようになりました。
――それが「日本うんこ学会」の設立につながったのでしょうか?
石井先生: はい。最初は、「どうやったら多くの人に大腸がんの初期症状を伝え、興味関心を持ってもらうことができるのだろうか」と考えました。ホームページを作るとか、講演をするとか、方法はいくらでも思いつきました。でも、まだ病気じゃない人、健康に無関心な人には、そんなものに興味を持たないだろうと考えてしまって…。そんなとき、たまたま「バカサミット」というイベントに参加することになり、そこで「うんことオッパイは拡散されやすい。日本人は特に好き」ということを知り、「うんこのコンテンツを作れば、勝手に拡散されるんじゃないか?」と、考えたんです(笑)。それで、日本うんこ学会を立ち上げて、スマホゲーム「うんコレ」を作ろうという話になりました。
――うんコレの開発はボランティアによるものとお聞きしましたが、メンバーはどのように集めたのでしょうか
石井先生: 最初はエンジニアやデザイナーの知り合いが1人もいなかったので、異業種交流会に参加して、そこで出会ったエンジニアにとにかく片っぱしからうんコレの話をするようにしました。そこで賛同してくれたのが今一緒にやっている木野瀬君と前田君で、彼らが知り合いを紹介してくれて、最初は3、4人でしたが、「ホームページを見ました」とか「記事を読みました」という人がだんだん増え、今は500人近くの会員数になりました。
――うんコレは申請中とのことですが、それ以外に、うんこ学会として今後やっていきたいことはありますか?
石井先生: 結局のところ、僕がしたいのは「もっと生活や日常に近いところに医療を届けよう」ということなんです。外科医として病院で働いていた頃、手遅れで何もしてあげられない人や、術後の入院が長引き、足腰が弱って施設に入ってしまうような人をたくさん見てきました。
今は手術の技術が進歩しているので、早期発見できれば、ゴッドハンドが執刀しなくても、多くの人を助けてあげることができるんです。特に大腸がんは、手術スキル以外の部分で寿命が決まるような気がします。だからこそ、早期発見はもちろん、術後の生活をいかに豊かにしていくかというQOLの問題が非常に大きいように思いますし、それらの情報を正しく楽しく伝えていくことが大切だと思っています。
「逆境」というハードルを越えた先には、必ずいいことがある!
――今後、どのような医療者を目指していきたいですか?
石井先生: 近い将来、「手術後はすぐに退院。療養は在宅かリハビリ施設で」という効率的な医療に変わっていくと思うので、「退院した後の人をどう救うか」といった、病院外でのサポートに注力していきたいですね。年を取っても、若い頃と同じように生きていける時代を作っていけたらと思います。最後まで主体的に生きていって欲しいし、病気に負けないよう、暮らしの導線上に医療を提供していきたいですね。そのためにも、今後は在宅医療にも力を入れたいと思っており、5月から都立大学駅近くに、在宅医療を中心とした「おうちの診療所目黒」をオープンする予定です。
――最後に、IBD患者さんにメッセージをお願いします。
石井先生: 病気を中心に人生を考えるのか、人生の一部に病気があるだけだと考えるのか…結局のところ、「病気をどう捉えるか」だと思うんですよね。僕自身、潰瘍性大腸炎は努力するきっかけにもなったし、元気に動ける時間を効率よく使うためのマネジメントスキルアップにもつながりました。また、ありのままの自分を受け入れてくれる仲間の大切さも教えてもらいました。病気という逆境が、成長するためのハードルをいくつも置いてくれたんです。そのハードルを乗り越えるまではつらいけど、越えた先には必ずいいことがあります。病気を「原動力」に変えて、進んでいきましょう!
(IBDプラス編集部)
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