みんなの笑顔が見たいから。「クローン病の料理人」が胸に秘めた大きな夢

ライフ・はたらく2023/9/8

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今回ご紹介するのは、料理人の阿嘉将矢さんです。幼い頃から家族の食事を作ったり、友達にクッキーを焼いたりして、喜んでもらえるのが嬉しかったという阿嘉さん。しかし、高校2年生の時にクローン病を発病…。それでも最終的には料理人という道を選び、現在は一流ホテルの料理人として腕を振るっています。発病後に料理人を目指した理由とは?そして、料理人になるまでの道のりと職場での様子など、IBDでこれから飲食業界を目指す人も必見の内容です!

阿嘉(あか)将矢さん(26歳/クローン病歴9年)

幼い頃から料理を作ることが好き。高校生の時に体調を崩し、その後、クローン病と診断される。大学進学と迷うが料理の道を選び、調理師専門学校に入学。現在はヒルトンホテルの料理人として、訪れる人たちにさまざまな料理を提供している。妻との2人暮らし。アイドルグループ嵐のファンで、料理をテーマにしたバラエティ番組「相葉マナブ」を見るのが楽しみ。
X(旧Twitter):https://twitter.com/AkaShoya

身長172cmで46kgに…。「もう友達と買い食いできない」と思い悲しかった

――クローン病と診断されるまでの経緯を教えてください

最初に異変に気付いたのは高校2年生の春頃です。いつもお昼ご飯は2人分くらい食べていたのですが、久々に体重を測ったら全然増えていなかったんです。今思えば、その頃から体重減少が始まっていたのだと思います。貧血もあって、友達に女子より白いと言われるほど青白い顔をしていました。その後、おしりから膿のようなものが出始め、トイレの回数も増えていきました。おしりの症状が治らないことを心配した大叔母に勧められて肛門科を受診することにしたのですが、その1週間くらい前に、立っていられないくらいの激しい腹痛に襲われました。

医師はすぐにクローン病を疑い、その後の内視鏡検査で正式にクローン病と診断されました。その病院で痔瘻の手術を受けた後、大学病院に転院してそのまま検査入院しました。入院中は絶食で栄養は点滴のみでしたが、炎症が良くなったせいか、入院前は身長172cmで体重が46kgだったのに、退院する頃は50kgになっていたので驚きました。無事難病申請が通り、レミケード治療、ペンタサ500mg、ミヤBM、エレンタール、鉄剤、胃薬の治療を開始しました。今も、エレンタールと胃薬をやめた以外は同じ治療を続けています。

――発症のきっかけとして思い当たることはありますか?診断を受けた時の気持ちもお聞かせください

発症のきっかけで思い当たることは特にありませんが、幼い頃に両親が離婚し、小学2年生で大叔母に引き取られるまでは、父、母、祖母の家を転々としていました。そういったストレスが長年蓄積していたというのは多少あるかもしれません。 医師からクローン病と告げられた時は「クローンって分身みたいなもの?」という感じで、よくわかりませんでした。それよりも食事制限が必要と知り、「もう友達と学校帰りに買い食いもできないのか…」と、すごく悲しい気持ちになったことを覚えています。脂質も1日30g以内と聞いたので最初の1年間は極力油を取らないようにしていました。

――最初の1年間、学校でのお昼ご飯はどうしていたのですか

お弁当は自分で作っていたので、そこまで苦ではありませんでした。鶏ささみに料理酒をかけてレンジでチンしてからほぐして塩コショウしたものや、煮物を作って限界まで煮汁を飛ばしたもの、焼き鮭などもよく入れていましたね。

――お友達には病気について話しましたか

命にかかわるような病気ではないと聞いていたので「油ものとか食べられないんだよね~」程度に伝えていました。また、学校にエレンタールを持って行っていたのですが、友達から「何飲んでるの?」と聞かれ、何も説明せずに飲ませて、反応を見て笑ったりしていました(笑)。

IBDの人でも食べられるイタリアンのお店を持つことを目標に料理の道へ

――料理人になろうと思ったきっかけを教えてください

料理をすることは昔から好きでしたが、料理人になろうとは考えてもいませんでした。県内の進学校の特進クラスにいたので、最初は大学に行って管理栄養士になろうと考えました。ところが、地元で栄養士の資格が取れる大学が女子大しかなかったんです。悩んだ末、大学生活を漠然と楽しんで適当に就職するくらいなら、料理が好きだし手に職をつけた方がいいと考えました。料理人になると決めてからはIBDの人でも食べられるイタリアンのお店を持つことを目標に、高校卒業後の1年間、和食チェーン店のキッチンでアルバイトをしてお金を貯め、調理師専門学校に入学しました。

――学校で大変だったことはありますか?調理師専門に入るIBD患者さんに向けてのアドバイスもお願いします

アルバイトの方がハードだったので、特に大変だったことはありません。ただ、レミケード治療で8週おきに学校を休んでいたのですが、代わりのきかない授業と被っていて、このまま休み続けたら単位が取れないと気付き、慌てて主治医の先生に相談して曜日を変えていただいたことはありました(笑)。

調理実習はおなかの調子を整えて臨んだ方が良いと思います。料理をする前に手洗いするのですが、時間をかけて肘くらいまで徹底的に洗ってから始めます。トイレに行くとそのたびに同じ手洗いをしなければならず大変だと思います。また、おなかを壊しやすい人は味見でちょっと苦労するかもしれないですね。味見してそのまま吐き出すという選択肢もありますが、料理は味だけでなく、鼻から抜ける香りや喉ごしなども重要ですから…。なので、少しでも良い体調で入学できるように、治療はきちんと続けてください。

料理長には詳しく、同僚には深刻にならないよう最低限のことを説明

――ヒルトンホテルに就職されたということですが、面接時に病気のことは伝えましたか

履歴書に持病を書く欄がなかったのと、面接時にも聞かれなかったので伝えませんでした。もしトイレに何回も行くような状態だったら伝えていたと思います。

入社後、しばらくしてから料理長にクローン病の説明のパンフレットをお渡しして「今は安定していますが、何年後かに入院するかもしれません」と、お伝えしました。同僚には、週末の予定を聞かれたりした時に流れで「通院です。不治の病にかかってるんで(笑)」という感じで、深刻に思われないように伝えています。「治らない病気で定期的な通院が必要」という最低限のことはわかってくれています。

――ヒルトンホテルは第一志望だったのですか

いろいろな料理が作れるからとホテルを志望していましたが、恥ずかしながらヒルトンのことは知りませんでした。説明会での印象がとても良かったことと、面接開始時期が一番早かったので受けました。先生たちからは「一流だし難しいかもね」と言われていました。実際に、30人くらい受けて料理部門で受かったのは僕を含めて2人でした。面接試験のみでしたが「沖縄の食材を使って独自の料理を作るとしたら何を作りますか?」というちょっとひねった質問もありました。

食事制限の経験があるからこそ、お客さんに優しくなれる

――具体的な勤務体系や仕事内容を教えてください

うちの職場は8割が男性です。イタリアン、ビュッフェ会場、従業員食堂の3部門に分かれています。入社して10か月くらいはビュッフェのサラダやフルーツなどを担当し、その後に従業員食堂を1年半くらい担当、その後またビュッフェに戻り、ステーキや炒め物などの温かい料理を担当しています。

最初はイタリアンが良いとも思いましたが、勤務体系がかなりハードです。僕がいるビュッフェ会場は、早番が4:30~13:30、中番が9:00~18:00、遅番が14:00~23:00と決まっているため、ほとんど定時で上がれます。体への負担も少ないですし、仕事にも慣れたので不満はありません。大体4人くらいで回していますが、他の時間と重なるので、その間に休憩も取れます。お昼は従業員食堂で食べています。

料理人は忙しいので、みんな「早くしろよ!」という感じで言い方がきつくなることはありますが、いじめみたいなことはあまりないと思います。僕自身、家に帰ったら仕事のことは忘れるタイプなので、ストレスもほとんどないですね。

――悪化しないように気を付けていることはありますか

特別な食事制限はしていませんが、調理する時はオリーブオイルを使ったり、テフロン加工のフライパンを使って使う油の量を最小限にしたりしています。

――クローン病であるからこその強みを教えてください

フルーツのカットも丁寧に美しく

どんなに忙しい時でも、特定の食材を抜いて欲しいというオーダーが入ってきます。もしクローン病でなかったら「こんなに忙しい時に面倒なオーダーしてくるなよ!」って、頭に来ていたと思います(笑)。でも、自分が食事制限を経験しているので、同じような病気やアレルギーなのかもしれないと想像できて、イライラすることはないですね。それだけでも他の人より優しさを持ってお客さんと向き合えている気がします。僕が作った料理を通して一人でも多くの人が笑顔になってくれたら嬉しいですね。

夢への第一歩は、まず自分の病気を知ることから。同じ職業の先輩患者さんも探してみて

――家族への思いと、今後の夢を教えてください

10月に子どもが生まれる予定なので楽しみです。奥さんは僕の病気を理解した上で結婚してくれたので、これ以上心配をかけないように、寛解を維持しながら仕事と子育てを頑張っていきたいと思います。子育てが始まるとバタバタして奥さんへのフォローも必要になると思うので、しばらくは今の職場で経験を積んでいきたいです。でも決して諦めたわけではなく、いつかは自分のお店を持ちたいという夢に変わりはありません。

――IBD 患者さんにメッセージをお願いいたします

自分の病気のこともよくわからないまま、例えば料理などの知らない世界に飛び込むのは、リスクが大きいと思います。IBDについてきちんと学び、自分がどんなタイプなのかを把握することで、より良い生活が送れると思います。そのために地域の患者会なども活用してみるのもいいと思います。料理人を目指す人は、自分が食べて大丈夫なものとダメなものを把握することで、味見する時にも気を付けることができます。また、SNSなども活用してIBDの料理人の情報を積極的に集めることで、より夢に近付けるのではないかと思います。

(IBDプラス編集部)

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