スモールステップで自分らしく。はたらく私を支えてくれた少しの勇気と仲間たち

仕事・はたらく2022/12/28

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今回の「仕事・はたらく」でご紹介するのは、団体職員として経理・庶務の仕事に携わるめいさんです。臨時職員から、その後、別の団体の正規職員となって今年で8年目になるそうですが、「自分の病気を伝える」ということについて思い悩み、体調を崩したこともあったのだとか。しかし、ある出来事が転機となり、少しずつ悩みが解消されていったそう。ようやく見つかった、めいさんに合った病気の伝え方とは?

めいさん/潰瘍性大腸炎歴22年

30代前半(2000年)で潰瘍性大腸炎を発症。確定診断後に次女を出産。現在は団体職員として働く傍ら、自身の難病体験を共有し考えることで他の難病患者さんを支援する「難病ピア・サポーター」の活動にも参加。休日にはヨガなどを楽しむ。家族は夫、長女、次女、世之介(うさぎ)。

ある日突然難病に。潰瘍性大腸炎発症後に次女を出産

――潰瘍性大腸炎と診断されるまでの経緯を教えてください

30代前半、長女を保育園に預けてアルバイトをしていた頃、強い倦怠感があり内科を受診して検査をすると、病院から「ひどい貧血なのですぐに病院に来るように」と連絡がありました。貧血の治療を開始して間もなく、朝、起きてトイレに駆け込むようになり下血したのです。看護師さんが評判の良い消化器内科を紹介してくださり、すぐに受診しました。

大腸内視鏡検査を受け、直腸炎型の潰瘍性大腸炎と診断されました。命にかかわる病気ではなかったという安堵感はありましたが、突然難病と言われて神様も仏様もいないのかと泣きました。医師から「潰瘍性大腸炎は、優しい人がなる病気だよ」と説明され、受給者証の申請をして、その後はメサラジン(5-ASA製剤)のみで症状が落ち着きました。

――診断後の妊娠・出産について、再燃など不安なことはありましたか?

次女は消化器内科と産科のある総合病院で出産しました。そこでは服用している薬の安全性について調べてくださり、「妊娠中に薬を飲み続けることについては心配する必要はない。薬をやめて再燃するリスクの方が大きい」というアドバイスをいただき、安心しました。

「仕事を続けたい自分」と「体がつらくて続けるのが困難な自分」との狭間で悩み続けた日々

――現在のお仕事内容について教えて下さい

経理や庶務を担当しています。具体的には会計システム入力をするため仕訳、決算書作成、申請書類作成、事業の補助、電話対応などです。今の職場は以前アルバイトをしていた上司の紹介で正規職員になって8年目になります。体調は安定していましたし、長女・次女も中高生になり、簿記の資格もあったのでチャレンジしました。

ところが、正規採用の半年後に体調が悪化。医師に相談した結果、寛解導入のために、初めてステロイドを服用することになりました。

――フルタイムになって、業務量が一気に増えたことが影響したのでしょうか

それもありますが、一番は「責任の重さ」だと思います。前任者が辞めて立て直していく段階だったので、「何とかしなければ」と無理をしてしまったのだと思います。

――その状況を打破するために、いろいろな努力をされたそうですね

採用の際に病気のことは伝えてなくて、当時は体調が安定していたこともあって大丈夫だろうと思っていました。でも上司や職員が変わる時、家族のライフ・イベントのたびに体調を崩し、病院に行くという繰り返しでした。それは服薬や治療に頼るだけで自己管理ができなかった結果です。「見た目にはわからないから」と本音や弱音も言わずに気持ちに蓋をしてつらかったですね。高校時代からの友人にも疾患を伝えられず一人で苦悩していました。

こんな状況なので行き詰まってしまって、常に「仕事を辞めれば解決するのではないか」という考えがありました。でも難病支援センターの支援員さんから「働き続けられるから辞めないで」と励ましてもらって、産業保健総合支援センターを紹介していただき両立支援に向けて相談もしました。収入を得なければという現実問題もありましたし、仕事にやりがいを感じていたので、仕事を続けたい自分と体調が悪くて続けるのが難しい自分が葛藤し続けていました。

3年目以降は職場環境に適応、生物学的製剤の治療の効果があり体調も良くなりました。さらに成長した長女・次女の学業に励む姿を原動力に2018年から難病支援センターが主催する難病支援ピア・サポーター養成研修に参加しました。

大きな転機となった「一通の手紙」と「大切な仲間」の存在

――そこから徐々に変わっていったと伺っていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?

5年目(2019年)に再び体調を崩し、医師から「具合が悪い時は短時間勤務にするなどの配慮をお願いします」という診断書をいただきましたが、「言葉で伝えること」に大きな壁があり、それを自宅からFAXで送って同僚から上司に渡してもらうような状況でした。

6年目(2020年)の秋、難病ピア・サポーターの仲間から紹介された潰瘍性大腸炎を公表した高校球児の新聞記事を読み、とても感動してその球児さんに手紙を書きました。すると返事が届き、そこには彼の赤裸々な気持ちがつづられていました。

第一希望の学校への進学や学校のイベントへの参加など、いくつものことを諦めてきました。取材された時も病気のことを明かすつもりはありませんでした。でも公表することで、同じ病気で苦しんでいる人に自分のことを知ってもらい、少しの勇気を与えることができたと思っているので、後悔はしていません。これからは自分が勇気を与え、笑顔になるための手助けができるよう頑張っていきたい――。

これは私の宝物です。この出来事をきっかけに自分が少しずつ変わっていったように思います。「私も自分の病気のことを他の人に伝えていきたい、そのためには行動したい、私の経験を役立てたい」という気持ちが湧いてきました。

「病気を伝える」ことの大切さを教えてくれた仲間たち

私は「文書」で伝えることが合っているようです。文書は誰が読んでも内容が均一に伝わりますし、診断書を手渡すこともできなかった私にとってハードルが低くなります。2020年の暮れに初めて文書で「時短勤務のお願い」を提出しました。そのきっかけが球児さんからもらった勇気と難病ピア・サポーター仲間です。2020年のコロナ禍で難病ピア・サポーター仲間が主宰するオンラインサロンに参加し、同じように就労に悩む仲間と話すと、背中を押してもらっているような気がして孤独感がなくなりました。ピア・サポートとは「同じような苦しみを持つ者同士の支え合い」ですが、「病気のことを伝えられない」という不安や見えない高い壁が消えていくという貴重な経験をし、仲間たちの声援が聞こえるような気がしました。

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高校時代の友人が描いてくれた世之介君の油絵も宝物のひとつ

――病気のことを文章で伝える方法について、具体的に教えていただけますか?

過去には、具合が悪くて休むとき、FAXやメールで連絡したこともありました。職場や会社によっては定期的に上司との面談があると思いますが、事前に合理的配慮をA4用紙1枚くらいにまとめておくと話しやすいです。あとは「両立支援ハンドブック」などのツールを使いつつ、ポイントをまとめてみるのが良いのではないでしょうか。最初は「困りごと」を箇条書きにして伝えるだけでもいいと思います。知ってもらうだけでも大分、気持ちが軽くなると思います。

職場の同僚に病気のことを伝えた後に「命を削ってまで仕事をするものではない。短時間勤務でも仕事が回っているから大丈夫だよ」という声をかけていただいた時は、本当にうれしかったですね。今は仕事を休んだときも、「すみません」ではなく「お休みをいただいてありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えています。

また「発信」することも良いと思います。今はSNSで病気のことや自分の気持ちを発信している人も多いです。私はピア・サポーターの一環でオープンチャットに参加していますが、とても参考になる情報を得ることができています。またオープンチャットの管理者さんが運営している患者会にもオンラインで参加しています。

これからもスモールステップで、自分らしく歩んでいきたい

――最後に、IBD患者さんにメッセージをお願いします

IBDではない人に病気のことを理解してもらうのは難しいかもしれません。心の準備をして言語化やちょっとした行動を起こすことで自分を変えることもできる、自分を信じることができると思えるようになりました。

人って鏡だと思うのです。優しい気持ちで接すれば、きっと相手も優しく接してくれるはず…。たくさんの優しい気持ちに気付き、「私らしく、一歩一歩進んで行けばいいのだ」と考えられるようになってから、自分も周りも少しずつ変わっていったように感じます。これからも焦らずに自分らしく、スモールステップで歩んでいきたいと思っています。

(IBDプラス編集部)

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