病気をコンプレックスから武器に変えて―人生超ハードモードの僕が目指す働き方

仕事・はたらく2020/9/7

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今回の「仕事・はたらく」でご紹介するのは、IBD界の有名人と言っても過言ではない、しんちゃんです。サラリーマンとして、大手企業の情報システム部で働きながら、患者会「みえIBD」の会長として、イベント、講演会、メディアへの登場など、幅広く活躍されています。一見、何の苦労もないように見えるしんちゃんですが、クローン病の発病から現在に至るまでには、度重なる困難と苦労があったそうです。「今もたくさんのコンプレックスを抱えながら生きている」と笑顔で語ってくれたしんちゃんに、これまでの人生と働き方について伺いました。

しんちゃん(32歳/クローン病歴15年)

クローン病と17歳で確定診断され、約40回の入院と3回の手術を経験。2016年6月25日から患者会「みえIBD」の副会長を務め、2019年6月に会長に就任。多くのイベントやメディアで情報を発信し続けている。

両親は不仲、勉強も運動も苦手、さらに難病と告げられて「もう人生終わったな…」

――今や「IBD患者さんの顔」になりつつあるしんちゃんですが、子ども時代は、どのようなお子さんだったのでしょうか?

しんちゃん: 今の僕しか知らない人は驚くかもしれませんが、すごく人見知りで、特に女の子と話すのが苦手でしたね。勉強ができるわけでも運動ができるわけでもなく、ドラえもんの「のび太くん」みたいな、パッとしない子どもでした(笑)。

――14歳の頃に具合が悪くなったということですが、何か原因と思われるような出来事はありましたか?

しんちゃん: うちは両親と弟の4人家族です。母はとても良い人なんですが、ちょっと不器用で…。幼い頃、母の家事が夜中まで終わらず、ぐっすり眠れないということもありました。父が疲れて帰ってきてもそんな感じだったので、両親はよくケンカしていました。しかし、内向的な性格だった僕は誰にも相談できず、逃げ場も居場所もない状態で、ストレスを知らぬ間にため込んでいたんだと思います。

14歳の頃、父の浮気がわかり、両親の仲は以前にも増して険悪になりました。同じ年の夏、今考えると腸閉塞だったと思うのですが、身体中をヘビが這いずり回るような感覚と痛みに襲われ、急患で診てもらった小児科に入院しました。原因不明と言われ、点滴を打っただけでしたが、絶食したことがプラスに働いて症状が落ち着いたんです。同じ頃にパソコンを買ってもらい、ネットの世界にどっぷりハマっていきました。それが今の原点と言えますね。

――クローン病と診断がつくまでの経緯を教えてください。

しんちゃん: 高校に入学後しばらく経った17歳の時、また以前と同じ状態になり、救急搬送されました。このときは小児科ではなく外科で診てもらうことになり、小腸造影を勧められました。しかし、すでに造影剤が全く通らないような状態で、すぐに消化器の専門医がいる病院を紹介され、再度小腸造影をした結果、クローン病と診断されました。

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――確定診断がついて、どのようなお気持ちでしたか?

しんちゃん: インターネットで症状を検索して、クローン病ではないかと薄々感じていたので「やっぱりか」という気持ちでした。同時に、劣等感のかたまりみたいな僕が、さらに難病だと告げられたわけですから、「マジか…もう人生終わったな」という絶望感でいっぱいでしたね。

栄養指導も受けましたが、母はもともと料理が苦手なので、「スーパーやコンビニの総菜が食べられなくなったらどうなってしまうんだろう」という不安に襲われました。最初のうちは母もがんばってクローン病に配慮した食事を作ってくれていましたが、続けていくのは難しく、処方されたペンタサの服用とエレンタールの夜間投与をがんばったくらいで、食事に関する努力はほとんど何もできていないんです。

病気を“武器”にしてようやく勝ち取った内定。しかし、入社翌日から4か月入院…

しんちゃん: 高校では秀(ヒデ)という親友ができて、とても充実した日々を送っていました。ヒデは成績優秀でクラスの人気者でした。母子家庭だったせいか、どこか通じるものがあって、夜通し遊ぶこともありましたね。クローン病になってから、「どうせ僕は…」という、どこか冷めたような気持ちを抱えていましたが、ヒデのおかげで毎日を楽しく過ごすことができました。卒業後はwebデザイナーにあこがれて、コンピューター専門学校に入学しました。

――専門学校に入ってから、再び体調を崩されたそうですね。

しんちゃん: この頃、女友達の恋愛沙汰に巻き込まれたり、弟を連れて家出してヒデの家でお世話になったりといろいろなことがあって、気付いたら黒色便が出るように…。原因は小腸の出血でした。その後、何度か輸血をして凌いでいましたが、ある日、治療を受けている最中に貧血で倒れ、そのまま緊急手術となりました。これが人生初の手術ですね。術後は順調に回復しました。進級に必要な単位がギリギリだったのですが当時の担任の先生にご配慮いただき、無事にその後の学生生活を送ることができました。

――就職活動はいかがでしたか?

しんちゃん: リーマン・ショックの影響で、めちゃくちゃ大変でしたね(笑)。しかも、就職で有利になる「基本情報技術者試験」という資格を持っていなかったので、かなり厳しい状況でした。最初は病気であることを隠して面接を受けていたのですが、自己アピールもままなりませんでした。病気を隠すって、実は「強み」を失うことでもあるんですよね。そんなとき、就職課の先生が障害者手帳を持っている人だけが使える求人サイトを教えてくれたんです。そこを利用するようになってからは形勢が逆転しました。

――障害者枠は倍率が高いとも聞きます。採用された決め手は何だったと思いますか?

しんちゃん: 担任の先生が、病気のことで何を聞かれても「強み」として話せるようにと、自己PR文を何度もブラッシュアップしてくれました。また、「人事は、入院頻度や治療内容を詳しく聞きたがる」というアドバイスをもとに、クローン病のマニュアルを作りました。そのおかげで、現在も働いている会社と縁があり、入社が決まりました。人柄重視で採用していたとのことで、「入院中にいろいろな年齢、病気の人と出逢って、人の気持ちを汲み取れるようになった」というエピソードもすごく響いたようでした。内定をもらったときは、人生で初めて「がんばって生きていればいいこともあるんだな!」と心から思えた瞬間でした。

――ところが、入社当日に倒れてしまうんですよね!? 何か思い当たることはありますか?

しんちゃん: 入社直前まで短期のアルバイトをやっていたのですが、入社日目前に、バイト先でインフルエンザ感染者が出たんです。警戒していましたが僕にも移ってしまって…。入社前日に黒色便が出て、ヤバい!と思いましたが、何が何でも行かなければと、最悪の体調のまま初出社したんです。ようやく研修が終わってホッとしたのもつかの間、職場見学が始まり、その途中に倒れてしまいました。人事への配属が決まっていたのですが、これからお世話になる人事部長にタクシーに同乗してもらい、抱えられながら帰宅したことを覚えています(笑)。

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その後、病院で検査した結果、小腸に穴があいて大量に出血していることがわかり、即入院となりました。僕の場合、出血点を特定するのが難しい珍しいタイプらしく、絶食して検査の日々が続きました。手術と違って、いつ退院になるかもわからず、本当に毎日つらかったですね。 結局、入社翌日から8月まで、約4か月間入院しました。ところが、あと少しで退院日というときに、久々に会う約束をしていた親友のヒデが自殺したとの知らせが…。何も恩返しできなかった自分を責めましたね。もっと悩みを聞いてあげていたらと、今でも後悔しています。

そんな気持ちを抱えたまま、職場復帰となりました。同期とは大きく差がつき、人事は僕が最も苦手とするアナログ仕事ばかりの部署でした。また、わからないことがあっても先輩に話しかけるタイミングがわからず、大事な給与計算も間違えてしまう…。そんな状況が2~3年続きました。自分のミスで連帯責任になることも多く、つらくて毎日泣いていましたね。

転機が訪れたのは、ファッションに興味をもつようになってからです。クールビズやウォームビズが浸透し、私服で出社する人が増えました。それで僕も流れに乗ろうと思い、知り合いの店員さんに服をコーディネートしてもらうようになったんです。選んでもらった服で会社に行くようになってから「その服いいね、どこで買ったの?」と、いろんな人から気軽に話しかけてもらえるようになりました。そのうち変な緊張が取れてきて、わからないことを聞けるようになり、ミスも減って、だんだん活躍できるようになっていきました。そしてついに、新しいプロジェクトが立ち上がり、自分の専門分野でリーダーを務めることになったのですが…突然体調を崩して入院。退院した頃にはプロジェクトは終わっていました。あのときの悔しさは、今でも忘れることができません。

自分の誇りである病気の経験を、一人でも多くの人に伝えるために

――退院後はいろいろトラブルがあって、転職を考えるようになったそうですね。

しんちゃん: はい。求人には給料が倍もらえるようなところもありました。ですが、それは「フルタイムで働ければ」の話です。今の会社では産業医と相談しながら、勤務時間や出社時刻など、いろいろな配慮をしていただきながら働いています。さらに、時間をかけて築いた「居心地の良さ」も、お金で買えるものではありません。それで、「転職ではなく、いつか起業しよう」と考え、今のような活動をスタートしたんです。

その頃、半身不随になってから起業して成功している人がいることを知りました。仕事をしながらしばらくその人のもとに通い、人を惹きつけるための話術などを学びました。言葉の抑揚、伝え方、自分のブランディング、コピーライティングなど、自分を売り込むためにはパッケージやラッピングが重要だと感じました。そこで学んでいくうちに、「病気の経験」こそが僕の誇りであり、多くの人に伝えるべきことだと気付きました。

――いろいろな回り道をしながら、「今の会社で働きながら、起業も視野に入れた道を探す」という選択をされたんですね。

しんちゃん: その考えに至るまでには紆余曲折ありました。実は転職を考えていた頃、精神的に参ってしまい、産業医からストップがかかって9か月間休職したことがあるんです。診断は「適応障害」でした。

――9か月とは、大変でしたね…。休職中は「心理学」を学ばれたとのことですが、何か実践して役立ったことはありますか?

しんちゃん: 気持ちを整理するスキルが身に付いたということでしょうか。まず、自分の思いを全て書き出して「可視化」。今の自分がどういう状態で、何に傷ついて、怒っているのか、そういうことを明らかにしていく感じです。整理して自分なりに考えた結果、「今の部署でこれ以上やっていくことは無理だけど、他の部署ならやっていける」という結論に達しました。

――解決する方法を考えるというよりも、整理して次にやるべきことを明確にして行くという感じでしょうか?

しんちゃん: そうですね。心の問題を整理できると、自然と次の目標に目が向いていくんです。目標が見つかるか、それまでの時間を乗り切れるか、ということに関しては正直、運もあると思います。ただ、整理するスキルがないと、心が持たないんですよね。僕の場合は、うつ病になっていたかもしれません。次のステップとして異動を申し出ようか考えていた矢先、運良く情報システム室の次長から「うちの一員として復帰しない?」という声をかけていただいて、今は新しい部署で、パスワードの再発行やソフトの不具合対応など、社内のパソコンに関わる仕事に携わっています。

「多様な働き方が当たり前」という風土や文化を作っていきたい

――今後の目標や将来の夢についてお聞かせください。

しんちゃん: 今、本格的にYouTubeチャンネルの開設に向けて準備している最中です!新しいIBD患者さんたちは、先輩患者さんの昔話よりも、「治療が進歩して普通に働けるようになったのはわかったけど、withコロナの新しい時代をどう生きていけばいいの?」といった先のことを知りたいと思っています。そんな患者さんたちの声を、僕を通して届けていきたいというのが、次の目標ですね。

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――最後に、IBD患者さんにメッセージをお願いします。

しんちゃん: 体調不良で会社を休むことが多く、出世や収入アップが難しいという患者さんもたくさんいると思いますが、決して諦めないでください。足りない収入を副業で補填するという方法もありますし、他にもいろいろな手段があります。自ら行動を起こすIBD患者さんの輪が広がれば、これまでとは違う分野からも注目され、お仕事をいただける環境になっていく。そして疾患への理解も深まって、最終的にはIBD患者さん全体の収入を増やすことに繋がるのではないでしょうか。僕自身、「多様な働き方が当たり前」という風土や文化を作っていきたいし、同じような活動をしている人たちと一緒に、IBD界隈を活性化していきたいですね。コロナの影響で患者さん同士の交流の場は減りつつありますが、立ち止まるわけにはいきません。年齢や住んでいる場所など、全てを超えてつながれる「オンライン上の居場所」を、これからみんなで作っていきましょう!

(IBDプラス編集部)

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